Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

あたらしくて古い

Ηヴィレッジは、寝食をともにしながら学び、自由闊達に語らう場所だ。書を読むこと、学ぶことを日常の中心に据えて暮らす。じつは、そのスタイルは、とくにあたらしいものではない。『福翁自伝』を読むと、随所から当時の「塾風」が伝わってくる。160年前の書生たちは、とにかくよく勉強したようだ。いつ、どこにいても学ぼうとする。知的な没入は、時間が経つのを忘れさせるものだ。だからこそ、学びと暮らしを切り離すことなく、近づけておきたい。

Ηヴィレッジは、湘南藤沢キャンパスのなかにある。慶應義塾の学生寮はいくつもあるが、キャンパスのなかにあるのはΗヴィレッジだけだ。慶應義塾の歴史を遡ると、かつてはキャンパスのなかに寄宿舎があった。『三田評論』の論考によると、三田の丘には、400人を収容する寄宿舎があったという。学生のみならず教職員も住まい、食卓を囲んだらしい。まさに、暮らしのなかに「塾」があった。それは、「実学」の精神を具現化した姿だったといえるだろう。その大切な伝統は、「慶應義塾の寄宿舎は慶應義塾そのものである」という論考のタイトルにも表れている。*1

やがて、さまざまな事情で寄宿舎はキャンパスから切り離されていった。毎日の時間の流れが細かく刻まれ、いまでは暮らしと学びを分けることに慣れすぎてしまった。時代は動き、わたしたちの生活スタイルも大きく変わった。とりわけこの数年は、自由に出かけることも人と会うことも制限され、キャンパスのありようについて問い直す機会が多くなった。まさにそのタイミングで、寄宿舎がふたたびキャンパスに戻ってきた。変化をしなやかに受けとめながらも伝統を受け継ぎ、ここから、あたらしい「塾風」をおこす。Ηヴィレッジは、あたらしくて古い。*2

*1:都倉武之(2017)「慶應義塾の寄宿舎は、慶應義塾そのものである」:寄宿舎をめぐる慶應義塾史『三田評論』No. 1210(2017年4月)特集・学生寮新時代 pp. 30-37.

*2:この文章は、Hヴィレッジのウェブサイト「STORY」用に書いたものです。2022年10月執筆。

キャンパスで暮らそう。

2022年11月8日(火)*1

秋学期がはじまって、早くも6週目である。木々が色づき、キャンパスが美しい季節になった。ここにきて、ようやく学生たちが戻って来たという実感がある。教室や研究室で学生と一緒に過ごす時間が増えているのは、うれしいことだ。もちろん、同僚にも出くわす。会議の多くは相変わらずオンラインで開かれているものの、同僚とすれ違うだけでも気分がいい。遠距離通勤はあたりまえのことになっていたはずだが、「ステイホーム」に慣れてしまったせいか、キャンパスへの行き来については、少し身体を整えて臨んだほうがよさそうだ。

夜遅くになって、無理をして遠くまで帰るよりは、キャンパスに「残留」したほうが楽な場合もある。ぼくも、今学期になってから3回「残留」した。キャンパスに泊まれば翌日の通勤の煩わしさはなくなり、朝の時間をゆっくり過ごすことができる。突き詰めると、キャンパスに住めばよいということになる。

いま、キャンパスでは学生寮の建設がすすんでいる。ふだん利用している講義棟や本館の側から、ずっと工事現場は木々に隠されていた。秋学期を迎える少し前にその一部が伐採されて、いきなり建物が姿を現した。図面などではたびたび目にしていたが、やはり現物を見ると存在感がある。やがて周回道路と接続され、学生寮はキャンパスの一部になる。文字どおり、キャンパスに住めるようになるのだ。4つの居住棟に共用棟をくわえた五つの建物によって構成される一帯を、「Η(イータ)ヴィレッジ」と呼ぶことになった。湘南藤沢キャンパスでは建物の名称にギリシャ文字を充てているが、学生たちが住まう「ハウス(House)」の「Η」で、「Η(イータ)」がえらばれた。

順調にいけば「Ηヴィレッジ」は来年の早い段階で竣工し、4月からは学生たちが暮らしはじめることになる。キャンパスに住むのだから、通学に費やす時間は無いにひとしい。朝はのんびり寝坊もできるし、キャンパスに「残留」せずに、すぐに自分のベッドに帰ることができる。

いうまでもなく、ぼくたちの学びは生活とともにある。毎日は、絶え間ない学びの連続なのだ。学ぶことを活動の中心に据えて暮らす。そのスタイルは、とりわけあたらしいものではない。たとえば、明治30年に記された『福翁自伝』につぎのような一節がある。少し長くなるが、引用しておこう。

学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕で、座蒲団か何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為ようはないというほどに勉強していました。

『新訂 福翁自伝』(「塾生の勉強」岩波新書、1978、80頁)

このような「緒方の塾風」は、ぼくたちが標榜するひとつのスタイルだ。当時はいささか粗暴で不衛生な場面がたくさんあったように思える。でも、好きなだけ本を読んで、気が済むまで語らい、お腹がすいたら食事をして、眠くなったら横になる。起きたらシャワーを浴びて、続きに勤しむ。そんな気風が「Ηヴィレッジ」に漂いはじめるといい。学びと生活が一体化すること。それは、自分たちの時間をいままで以上に自在に使える贅沢を味わうということだ。あらかじめ提供されている「時間割」や学事日程には載ることのない、特別な時間が流れる。


【写真:2022年11月9日|共用棟(Ηヴィレッジ)】

30年前にキャンパスに通っていた卒業生たちは、机の上に突っ臥したり、冷たくて固い床に横になったりしながら、「残留」していたと聞く。時間を忘れるほどに、枕を忘れるほどに勉強に没頭していたのだろう。語らうことに夢中だったのかもしれない。すでに、かつての書生のような過ごし方が、には息づいている。そして、そのなかで培われた関係は逞しい。木立のむこうであたらしい暮らしがはじまれば、このキャンパスは、さらに面白い場所になるはずだ。

*1:この文章は、2022年11月8日(火)に「おかしら日記」として公開されたものである。原文のままだが、書式の一部を変更している。https://www.sfc.keio.ac.jp/deans_diary/016949.html

「のびしろ」のある毎日。

2022年11月5日(土)

このシリーズは「ドミトリー・ライフ」というタイトルで続けているが、今回は「ドミトリー・ライフ」をもう少し広い意味でとらえてみたい。字句どおりなら、寮(学生寮)での暮らしが対象ということになる。だが、「ドミトリー」での生活のありようは、立地や建物の設えといった物理的な特性だけで決まるものではないはずだ。毎日の過ごし方や近隣との関係づくりなど、「ドミトリー・ライフ」を考えるためのヒントが見つかるかもしれない。そう思って、今回は「ノビシロハウス亀井野」で暮らす池本次朗くん環境情報学部2年)に話を聞いた。*1

「ノビシロハウス」は、あたらしい物件で、2021年の春から入居がはじまった。ただのアパートではなく、住人どうしの交流や地域とのかかわりを意識した「ソーシャルアパート」と呼ばれて、竣工のころにウェブの記事で存在を知った。そもそも、ぼくたちが暮らすということ自体「ソーシャル」なわけだが、そのことを際立たせるような、いろいろな仕組みがあるらしい。最寄りは六会日大前駅(湘南台駅のとなり)だ。キャンパスとそれほど離れているわけではないので、いずれ見学に行きたいと思っていた。2022年の春に池本くんがぼくの「研究会(ゼミ)」に所属することになり、あとから「ノビシロハウス」の住人であることを知った。
いま述べたとおり、「ノビシロハウス」への入居がはじまったは2021年である。当時、大学のほうは、依然としてCOVID-19の影響下にあった(状況は好転しているものの、いまでも影響は受けている)。2021年の春学期は、ゴールデンウィーク前に3度目の緊急事態宣言が発出されて、授業はすべてオンラインに戻ってしまった。しきりに言われていたのは、学生たち(とりわけ新入生たち)は、友だちをつくる機会がなくて孤立感を味わっているということだ。とくに、進学を機にキャンパスのそばで一人暮らしをはじめた学生たちにとっては、もともと不慣れなことが多いところに、さらなる不便を強いられていた。

そんななか、湘南藤沢国際学生寮(SID)に暮らす学生たちとの話にもあったように、「ドミトリー」は学生たちの孤独感を多少なりとも和らげたのではないかと思う。キャンパスは閑散としていても(一時期は立ち入ることさえできなかった)、学生寮は「家」や「家族」を感じる場所になっている。その点は「ノビシロハウス」も同じで、たんなる一人暮らしではないという。池本くんは、「地域みらい留学」の制度*2で、実家を離れて津和野高校(島根県)に通っていた。そのときは、寮ではなくシェアハウスだったという。だから、共同生活には慣れているのだろう。誰かと一緒に寝食を共にするのは、いろいろと面倒に思えたり気を遣ったりすることもあるが、やはり安心感は生まれるものだ。
興味ぶかいのは、たとえば、月に一度の「お茶会」に参加することが「ノビシロハウス」への入居の条件だということだ。聞けば、条件といっても、それほど堅苦しいものでもない。「お茶会」には住人たちが集まって、他愛のない話を共有する。聞いたかぎりだが、このゆるさがいいのだろう。いわゆる自治会のように、厳格にコミュニティを束ねようという気負いは感じられない。ゆるい意味での「ソーシャルワーカー」になることが求められているという。実際には、このゆるい条件は家賃補助というかたちになって、住人たちに還元される仕組みだ。
歩いて数分のところには、介護事業所がある。「ノビシロハウス」もふくめ、界隈にあるいくつかの施設とともに地域を包み込む、そんなケアのありようを実践している現場なのだ。「ノビシロハウス」は、全体の仕組みのなかで、いくつかの機能を担う場所だということになる。

「ノビシロハウス」の1Fには、コインランドリーとカフェが併設されている。これは、住人たちと地元の人びとをつなぐコミュニティスペースとして理解することができるだろう。コインランドリーは、住人だけでなく近所の人も利用できる。だから、「外」の人も、ごく自然にアパートに出入りすることになる。洗濯をしているあいだは、カフェ「亀井野珈琲」で過ごすこともできる(いまどき「必須」となっているが、Wi-Fiも使える)。そして2Fには在宅介護の事業所が入居している。

【写真】左・中:9月30日に加藤が撮影|右:池本くん提供

あらためて「ドミトリー・ライフ」という観点から「ノビシロハウス」を眺めてみると、この場所が「まちの目」としての役目を果たしていることに気づく。住人もまちゆく人も、カフェからの視線に見守られている。もちろん、視線は一方的ではなく、お互いを見合っているのだ。ここ数年、学生寮(Hヴィレッジ)の計画にかかわっているが、どうしても学生たちのセキュリティーに目が向きがちになる。もちろん、安全への配慮は欠かせないので、外からのアクセスや寮内での学生の行き来について検討がすすむ。そのなかで、カメラの目が「見張る」状況は避けられない。近隣住民に迷惑がかからないような「寮則」も整備される。

「ノビシロハウス」の話を聞きながら、あらためて学生寮と近隣との関係について考えた。寮生たちが界隈に暮らす人びとから〈見られる〉ことは、まちがいない。いち教員としては、いろいろな問題が起きないことを願う。だが同時に、寮生たちは〈見る〉立場でもある。寮生たちも、「まちの目」となって役立つこともあるはずだ。ぼくたちの日常は〈見る=見られる〉という関係によって成り立っている。トラブル防止のために「見張る」のではなく、お互いの暮らしを「見守る」という姿勢こそが大切なのだろう。

話を聞いている最中にも、池本くんは、住人(あるいは近所の人)とおぼしきお年寄りに声をかけられていた。たくさんおしゃべりをするとか、深い話をするとか、人との関係がどのように培われていくかはじつに多様だ。だが、ちょっとした「声かけ」くらいの接点があるだけで、人の心は和らぐ。
池本くんは、最近、2年ごとの契約更新を終えたという。つまり、大学を卒業するまでは、この「ノビシロハウス」で暮らすということだ。COVID-19のせいで動きが制限されていたので、いよいよこれからなのだろう。「ノビシロハウス」の住人たちと地域に暮らす人びとが、いままで以上に顔を合わせ、語らうようになったとき、この界隈に組み込まれた「伸びしろ」の真価を実感できるのだと思う。

参考:ノビシロハウスの伸び代

*1:2022年9月30日、亀井野珈琲に行って1時間ほど話をして、この文章をまとめました。最後に、(後学のために)池本君の部屋も見せてもらいました。ありがとうございました!🙇🏻

*2:池本くんが高校に進学した当時は「しまね留学」という呼称だったとのこと。2019年から「地域みらい留学」に改称した。

Life as usual, wherever I am

(スクロールすると日本語版があります。)

Thursday, August 4, 2022

While I have introduced the "International Student Dormitory" in this series, I have not yet had a chance to talk with international students. Therefore, this time, I spoke with Ms. Hillary Hardy (freshman, Faculty of Policy Management, hereafter referred to as "Hilly"), who lives in the Shonan Fujisawa International Student Dormitory (SID), through Nonaka-san's introduction *1.

Hilly came to Fujisawa City in Kanagawa Prefecture from Bali, Indonesia. She became interested in Japanese culture and began to think realistically about pursuing an education in Japan, partly because it is closer than the U.S. or Europe. Last fall, she started living at SID, and now she is busy with various things as she enters the last half of her second semester. She learned about the dormitories from the information package she received after her acceptance, and although she knew very little about life at SFC, the information was beneficial. Among the several dormitories in the vicinity of the campus, she noticed that SID is a newly built dormitory right near the campus, and the convenience of having utilities and other expenses included in the monthly rent made it an attractive choice for her.

While in Indonesia, she searched the web and decided on both admission and housing. When she first stepped foot in the campus area, she was surprised to see it. Perhaps she had a strong image of the urban regions such as Shinjuku and Tokyo when she thought of living in Japan (in the suburbs of Tokyo). Of course, she did not expect to live in such an urban center, but the tranquility of the campus neighborhood was quite different from what she had imagined. The only things near the SID are a convenience store and a hospital. For Hilly, who likes to cook for herself, shopping is inconvenient, and the buses run out early on weekends. Although she seemed slightly disappointed, she is generally comfortable in the campus area.

The Internet is now an indispensable part of our daily life. As mentioned above, selecting a university and deciding on a place to live were made possible by the network. In addition, especially in the past few years, there have been more and more opportunities to take classes online, so she has to attend classes by connecting from her dorm room. It is essential for a living environment along with electricity and water. Even on the same floor, the connection varies from room to room (I heard this story from another student). Fortunately, Hilly's room is relatively good, but her friends seem to feel a little stressed.
Incidentally, when I studied abroad, the primary means of connecting with Japan were letters and postcards (this may sound like a long time ago). Of course, there were also international phone calls, but they were not that easy to use considering the cost and ease of use. Nowadays, we can talk while seeing the other person's face through a smartphone. Even if you are far from home, you can still feel connected with your family and friends. I realized how much things have changed in how we study abroad.

Dormitory security is essential. The fact that other students, as well as the dorm head and matron, live in one building is reassuring. A card key and facial recognition system control and maintain residents' access. Families living far away can feel secure with the neighborhood safe and the dormitory secure.

【Photo courtesy】Hilly

The first weekend in July was the "Tanabata Festival" at SFC. This year, it was held in person for the first time in three years, making the campus lively. Hilly's parents/family were visiting Japan, and she was able to give them a tour of the campus. However, it is unavoidable because of the rules set by the dormitory, inviting someone from the outside to one's room at SID. Her parents and family were no exception. Her family, who had traveled more than 5,000 kilometers to visit her, ended up spending most of their time walking around campus after admiring the exterior of the dormitory.

This semester, she has had more opportunities to meet people in person. I was happy that the students seemed to enjoy their classes and other activities on campus. In contrast, she likes to peacefully spend her time alone in the dormitory. When she first came to Japan and started living in the dorm, she had time to talk with friends and watch movies together in the common areas, but now that she is gradually getting used to it, Hilly would rather spend her time alone at SID. However, the socializing part is probably sufficient since the campus is nearby.

I had already heard from students living in the SID that they communicate on LINE and other means for small day-to-day matters. So SNS should be convenient for urgent contact and small things. Then, of course, there are RAs (Residence Assistants), dorm heads, and matrons if there are any problems. She said that she is generally satisfied with the dormitory so far. Still, she would like a way to communicate anonymously about things she notices or worries about in her daily life (a kind of "suggestion box"). Because with SNS, individuals can be identified and, depending on the content, it may be better to remain anonymous.

After talking with Hilly for about an hour, I felt strangely free from unique feelings as an "international student." She was just an ordinary university student with whom I usually interacted. Of course, I am sure there are some inconveniences and stresses in living in an unfamiliar environment, such as language, culture, etc. She was concerned about the speed of the network connection; she thought it was inconvenient for shopping; she enjoyed the comfort of having her friends nearby but valued her alone time. It sounds natural, and I think it is a sign of her "normal" daily life on campus. Soon it will be one year since she started living at SID. Hilly will return to Indonesia for the summer, but she has already decided to stay at SID for the second year.


via Keio SFC: https://www.youtube.com/watch?v=uE-cmhrQnME

2022年8月4日(木):どこにいても、いつもの暮らし

これまで「国際学生寮」のようすを紹介しながらも、じつは、まだ留学生と話をする機会がなかった。今回は、ふたたび野中さんの紹介で、「湘南藤沢国際学生寮(SID)」に暮らすHillary Hardyさん(総合政策学部1年, 以下Hilly)に話を聞いた*2
Hillyは、インドネシアのバリから神奈川県藤沢市へ。日本の文化に関心を持つようになり、アメリカやヨーロッパよりも近いこともあって、日本で教育を受けることを現実的に考えるようになった。昨年の秋に、SIDでの暮らしをスタートさせ、いまは2学期目の終盤をむかえていろいろと忙しい時期だ。寮のことは、合格が決まった後で手にした情報パッケージに入っていた案内で知ったようだ。SFCでの生活についてはほとんどわからない状態だったが、その案内が手厚かったのだろう。キャンパス界隈の寮がいくつか紹介されていたなかで、SIDはあたらしくできたばかりということ、もちろん、キャンパスに近いという立地条件も、光熱費など諸々の費用が月々の家賃にふくまれていて便利なことも魅力となって、SIDへの入居を決めた。
インドネシアにいながら、ウェブを介していろいろと調べて入学のことも住まいのことも決めた。初めてキャンパスの界隈に足をはこんだときには、素朴に驚きがあったようだ。やはり日本(東京近郊)での暮らしというと、新宿や東京といった都会のイメージが強かったのだろうか。もちろん、そのような都心部に住むとは思っていなかったものの、キャンパスの近所ののどかなようすは想像とはだいぶちがっていたようだ。SIDのそばには、コンビニと病院。とくに自炊が好きだというHillyにとって、買い物は不便だし、週末ともなると早い時間にバスがなくなってしまう。ちょっと、残念そうな素振りではあったが、全般的にはキャンパス界隈で心地よく過ごしているという。

いまや日常生活にインターネットは欠かすことができない。いま述べたとおり、大学えらびも住まいを決めるのも、ネットワークがあればこそ実現できた。また、とくにこの数年はオンラインで授業を受ける機会が多くなっているので、寮の部屋からつないで授業に出席することになる。電気や水道と同じように、必須の環境だ。どうやら同じフロアでも、部屋によって回線の状態がちがうらしい(この話は、別の学生からも聞いた)。幸いHillyの部屋は、比較的よい環境だとのことだが、友だちは少しばかりストレスを感じているようだ。ちなみに、ぼくが留学を経験したころは、日本とつながるための手段は、おもに手紙やハガキだった(なんだか、恐ろしく昔の話に聞こえるかもしれない)。もちろん国際電話もあったが、コストや使い勝手を考えるとそれほど気軽に使えるものではなかった。いまや、スマホ越しに相手の顔を見ながらしゃべることができる。物理的には離れていても、故郷に暮らす家族や友だちとのつながりを実感しながら暮らす。留学事情もずいぶん変わったものだと、あらためて思った。

寮のセキュリティは、とても大事だ。そもそも、他の学生たち、そして寮長・寮母さんも一つの建物に暮らしていること自体が心強い。さらに、カードキーや顔認証のシステムによって、アクセスが制御されている。界隈が安全で、寮のセキュリティが整っていればこそ、遠く離れて暮らす家族も安心だ。
7月最初の週末は、SFCの「七夕祭」だった。今年は3年ぶりに対面での実施になって、キャンパスは賑やかになった。ちょうど、Hillyのご両親・家族が日本に訪ねてきていたので、キャンパスの案内をすることができたという。寮のルールによって決められているのでしかたないことではあるが、SIDでは外から誰かを部屋に招くことは禁じられている。自分の両親や家族も例外ではない。はるばる5000キロ以上も旅してやって来た家族も、けっきょくのところは寮の外観を眺めたあとは、キャンパスを歩くという過ごしかたになった。

今学期になって、対面で人と会う機会が増えた。授業をはじめ、キャンパスでの活動が充実しているようすで、それはとても喜ばしいことだと思った。どうやら、その分、寮では穏やかに一人の時間を過ごしているようだ。日本に来て、寮での生活をはじめたばかりのころは、共用スペースで友だちを話したり一緒に映画を観たりという時間があったが、少しずつ慣れてきたこともあって、むしろ、寮では一人でゆっくりと過ごしたい。社交の部分は、キャンパスがあるから、じゅうぶんなのだろう。

すでに、SIDに暮らす学生から聞いていたが、日々の細かな連絡は、LINEなどでやりとりしているという。急な連絡やちょっとしたことだとSNSは便利なはずだ。もちろん、何かあればRA(レジデンス・アシスタント)や寮長・寮母さんがいる。いまのところは、概ね満足しているとのことだが、生活のなかで気づいたこと・気になることなどを匿名でやりとりする方法(いわゆる「目安箱」のようなもの)があればいい。SNSだと個人が特定されてしまうし、内容によっては、やはり匿名のほうがいいこともあるからだ。

Hillyと1時間ほど話をして、「留学生」としての特別な感じは不思議なほどなかったように思う。ふだん接している、ごく「ふつう」の大学生だった。もちろん、ことばも文化も、不慣れな暮らしで不便に感じることもストレスもあるとは思う。だが、ネットワークの回線の速度を気にしつつ、キャンパスには近くて便利だが買い物などには不便だといい、友だちが近くにいる安心感を味わいながらも、一人の時間を大切にする。そのようすがとても自然で、つまりそれは、「ふつう」にキャンパスでの日常が過ぎているということの表れなのだと思う。間もなく、SIDで暮らしはじめて1年になる。夏はインドネシアに帰るとのことだが、Hillyは、2年目もSIDで暮らすことを決めたという。

*1:I spoke with Hilly for about an hour on July 12, 2022, with Nonaka-san. 😊Thank you very much for your time. It was the first time I talked with an international student living in a dormitory. Hereon, I will continue to write about "dormitory life" little by little.

*2:2022年7月12日、野中さんと一緒にHillyと1時間ほど話をしました。🙇🏻ありがとうございました。じつは、寮に暮らす留学生と話すのは初めてでした。今後も、少しずつ「ドミトリー・ライフ」について綴っていくつもりです。

「内」と「外」を行き来する。

2022年7月16日(土)

『ドミトリー・ライフ』は、寮生活のようすを聞くことをとおして、学生たちとキャンパスとのかかわりについて考えてゆく試みだ。これまでに紹介してきた湘南藤沢国際学生寮(SID)は慶應義塾大学学生寮なので、所属学部はちがっていても同じ大学に通う学生たちが一緒に暮らしている。 今回の記事では、NODE GROWTH 湘南台(以下、NGS)という「独立系」の学生寮の暮らしに触れてみようと思う。
NGSは、 2018年2月に竣工した。10階建て、全158室。湘南台駅から徒歩1分という立地だ。「独立系」というのは、特定の大学にかぎることなく、(通学圏にある)複数の大学・専門学校の学生が暮らすという意味だ。ウェブには「通学に便利な学校」として、SFCをふくむ12校が挙げられている。

今回は、NGSに暮らす中島梨乃さん総合政策学部4年)に話を聞くことができた*1。中島さんは、愛知県の出身。寮で暮らすことは、ご両親に勧められたという。COVID-19の影響で半期は実家に戻っていたが、その時期を除けば大学時代はずっと寮で暮らすことになる。聞けば、ご両親が学生時代に寮で暮らしていた経験があり、進学のさいには寮生活を勧められたという。食事の心配がない(NDSでは平日の朝夕の食事がついている)こと、なにより、ずっと一緒にいたい「家族」のようにつき合うことのできる友だちとの紐帯が生まれること。そうした寮生活の魅力が、ご両親の口から語られたのだから、迷うことはなかったはずだ。

NGSは駅に近いので、買い物はもちろん、飲食店もたくさんある。交通手段へのアクセスもいい。中島さんが入学したのは、NGSが2年目を迎え、学生寮として、まだはじまったばかりというタイミングだった。フロアの共有スペースで、ごく自然に友だちができた。
これまで、いくつかの学生寮を見学する機会があったが、多くの場合「レジデンス・アシスタント(RA)」といった名称の制度が整っている。寮生として暮らしながら、他の学生のサポートをする役目を負う。NDSでは「ノードコーディネーター(NC)」と呼ばれていて、中島さんは、入寮のさいにNCになった(1年目をNCとして過ごした)。あたらしく寮での生活をはじめると同時に、自分だけではなく、同居人たちのことも考えることになったのだ。

寮生活のありようについては、一人ひとりがちがう考え方をもっているはずだが、もし一つひとつの寮に、それぞれの「寮風(りょうふう)」ともいうべき個性的な暮らし方があるとすれば、それは運営する事業主(寮長・寮母さんもふくめ)やNCたちによってつくられてゆく性質のものだ。もちろん、NCとしての役目は果たしていた。カギを忘れたとか、ちょっとしたトラブルとか、それなりに仕事は忙しそうだ。人とのつながりをつくるような「マイプロジェクト」も提案する。
そのいっぽうで、中島さんは、少し距離を置きながら一人ひとりの暮らしを見守っているようにも見えた。いうまでもなく、寮には国内外からじつに多様な学生たちが集まっているのだ。NCという立場を経験したこともあって、誰が、何のために、どのように「寮風」をかたどっているのか。その仕組みや過程にも関心がおよんでいるような印象を受けた。

【写真提供】中島さん

学生寮は共同生活の場ではあるものの、「2食付きの単身者用マンション」として理解することもできる。だから、寮のなかでの人間関係に無関心の入居者がいても不思議はない。あるいは、たとえば同じフロアに20人の学生が暮らしていたとしても、その人数でまとまるというよりは、ちいさなグループがいくつかできているのが現状だろう。
フロアをこえた交流の可能性はあるのだろうか(…せっかくなら交流できたほうがいい)。フロア単位でのまとまりを意識するのは、どういうときなのだろう(…何か「問題」が起きると結束するのだろうか)。話しているうちに、NDSで参与観察をしたら面白いだろうなどと考えてしまった。

興味ぶかかったのは、「寮の友だち」と「大学の友だち」が、ちょっとちがうという話だ。とくに意識しているわけではないが、自然に緩やかに区別されているらしい。「大学の友だち」は、同じキャンパスに通うことはもちろんだが、さらに関心領域が近いという理由で知り合い、関係を育む。その意味ではちょっと「よそ行き」の感覚だ。いっぽう「寮の友だち」は、キャンパスから戻って、その日の出来事を話しながら晩ごはんを一緒に食べる。そんな「家族」のような存在だという。
もちろん、友だちを招くことは大好きとのことで、そのなかで、おのずと友だちを紹介し合う場面は生まれる。実際に、入居したころは、大学の友だちを寮に招く機会もあったという(1Fには「外」に開いた食堂がある)。中島さんにとって、「寮の友だち」は、自分の日常生活を気兼ねなくオープンにできる存在のようだ。「普段着」のまま、つき合えるということだろうか。

COVID-19の影響下にあって、中島さんは、いちど寮を出て(賃貸契約を終えて)半期は実家で過ごした。少しずつ状況が好転し、また実家を離れることを決め、ふたたびNGSに戻ってきた。NGSには、家族のような「寮の友だち」がいたからだろうか。いったん解約したが、まったく同じ部屋にもう一度住むことになった。長い旅行を終えて、ひさしぶりに帰ってきたような感覚だったのかもしれない。

話を聞いていて、キャンパスから適度な距離を置きながら住まうのも、なかなか魅力的に思えた。中島さんは、ときどき、週末にもキャンパスに出かける。人影のない、静かなキャンパスも好きだという。近すぎず、遠すぎない。「内」と「外」を行き来するからこそ、見えてくることはたくさんありそうだ。

*1:今回は、「研究会」の学生経由で紹介してもらうことができました。2022年6月2日、中島さんと1時間ほど話をして、この文章をまとめました。🙇🏻ありがとうございました。じつは、2019年の「SFCクリエイティブウィーク」や他のウェブの記事で中島さんのことは(ちょっとだけ)知っていたのですが、会うのは初めてでした。引き続き、少しずつ「ドミトリー・ライフ」について綴っていくつもりです。

働きながら暮らす。

2022年6月16日(木)

日本人の平均通勤時間を調べてみたら、1時間19分だった*1。なるほど、ぼくは平均的なのだと思っていたら、往復の話だった。つまり、片道だと平均39分程度だということになる。ぼくたちが通うキャンパスは、都心から50km。もちろん、いまわかったことではないが、通勤・通学はなかなか大変だ。片道2時間くらい(あるいはそれ以上)かけて通っている学生もいるはずだ。
なんとなく、寮で暮らしているのは、海外や比較的遠いところから、大学進学を機にやって来た学生たちだと思っていた。だから、まずは故郷から遠く離れて遠藤まで来たことについて、聞いてみようという気になる。今回は、この前の川野さんに紹介してもらって、湘南藤沢国際学生寮(SID)に暮らす馬場花梨さん総合政策学部3年)に話を聞いた*2。馬場さんの実家は川崎市。キャンパスまで通えない距離ではない。

馬場さんは、2020年の春に入学した。すでに2年以上前になったが、あの年の春学期はCOVID-19の影響で、すべての授業がオンラインで開講されることになった。学生のみならず教職員も、緊急事態宣言とともに「ステイホーム」になった。キャンパスに入れないのだから、(妙な言い方だが)一昨年は、どこにいても同じようなものだった。一人暮らしを決めてキャンパスの界隈に引っ越していたのに、契約を取りやめて実家に戻って大学生活をはじめた新入生もいる。馬場さんも、はじめてキャンパスに入ったのは2年生になってからだったという。
もともと、(実家を離れて)一人暮らしをはじめたいと思っていて、たまたまウェブで「RA募集」の記事を見かけたのがSIDに引っ越すきっかけになった。「RA」はレジデンス・アシスタントの略で、寮生たちの「世話人」として大学が募集する。募集要項に記載されているおもな業務は、たとえば留学生一斉入居時のサポート、留学生用オリエンテーションの手伝い、留学生の退寮サポート、留学生を対象とした日常生活のサポートや学生同士の交流企画の立案と実施、RA 活動報告書の提出(月1回) などだ*3
名称はちがえど、学生寮にはそのような役目を担う学生が住んでいることが多い。自らが暮らす寮で働いて、報酬をえる。それが、(多少なりとも)家賃補助になるというわけだ。馬場さんは、昨秋からなのでまだ寮生としての日は浅いが、じつは、RAとしては「古参」らしい。いまは、他のRAたちとともに、暮らしの現場のなかで仕事をしている。

馬場さんの場合は、これまでに話を聞いた二人とは、ちょっとちがうライフスタイルがあるようだ。実家に帰ろうと思えば、帰ることができる。たとえば、翌朝に都内で約束があるような場合には、前日に実家に移動しておく。もちろん、逆もある。都内にいて夜遅くなったら(たとえば終電を逃すような場合には)、遠藤ではなく実家に帰ることができる。いわば「2拠点」の生活が成り立っているということだ。これは、たしかに便利なはずだ。通常「2拠点」で暮らそうとすると、家財道具を2セット揃えることになる。もちろん、いろいろなやり方はあるはずだが、2か所を行き来できるように整えるのは「物入り」であることはまちがいない。その点、寮(SID)の個室には「デスク、本棚、チェアー、昇降ワゴン、マットレス付ベッド、ワードローブ、エアコン、2ドア冷蔵庫、照明器具、インターネット(Wi-Fi完備)、カーテン、物干し竿(バルコニー用)」といった備品をはじめ、共用(貸出用)の掃除機やアイロンなどが準備されている*4。だから、面倒な準備や買い物からも解放される。くわえて、SIDについていえば、まだ2年目のあたらしい建物だ。一人暮らしは、寮だとはじめやすいということだ。

【写真提供】馬場さん

これまでに、いくつかの学生寮を見学する機会があった。それぞれに運用ルールがあるが、SIDでは(セキュリティへの配慮から)フロアごとにアクセスが制限されている。同じフロアに暮らしていれば、各フロアにある共用スペースに集うことはできる。だが、フロアをこえたつき合いになると、窮屈なこともある。そのこともあってか、みんなで集まる場所は、1Fの食堂になることが多いという。きっと、食べ物や飲み物に近いのも、人が集まる理由と無関係ではないはずだ。「行けば誰かがいる」というごく単純なことのようで、それがごく自然に実現するのは、やはり学生寮のいいところだろう。

いうまでもなく、食堂は集まるためだけの場所ではない。個室に電気ポットや電子レンジなどがあれば、部屋から出ることなく食欲を満たすことができる。それがかなわなければ、1Fまで下りなければならない。同じ建物なのだから、たいしたことでもないようで、きっと面倒なのだろう。億劫になる気持ちは、なんとなくわかる。馬場さんは、各フロアのどこかに共用の電子レンジでもあれば、ずいぶん暮らしが変わるのではないかという。たしかにそうだ。おそらく、電子レンジを買うこと自体はそれほど難しくはないだろう。仮に置くことができたとしても、肝心なのはその先だ。手入れやメンテナンスは誰がやるのか。誰かと一緒にモノを共用し、綺麗に使っていくために、おそらく簡単なルールをつくることになる。ルールができると、それを守ることが求められ、結局のところは融通が利かなくなって、ルールに縛られてしまうことさえある。共同生活のなかでの創意くふうは、実現までに手間ひまがかかるということを、RAの立場で実感しているようだった。

誰でも、いずれは寮生を「卒業」する日が来る。ずっと、寮に住み続けるわけにはいかない。馬場さんは、ひとまず今年度の終わりまではSIDで暮らすことに決めたという。来春からは4年生になるので、どうなるのだろう。 RAとして入居時のサポートをしながら暮らし、やがてはじぶん自身が退寮する。その仕事ぶり、つまりSIDへの想いや貢献は、続く入居者たちにもきちんと引き継がれてゆくはずだ。

*1:総務省統計局「平成28年社会生活基本調査」

*2:2022年5月30日、馬場さんと1時間ほど話をして、この文章をまとめました。🙇🏻ありがとうございました。

*3:慶應義塾大学 国際センターのページより。 https://www.ic.keio.ac.jp/intl_student/housing/ra_boshu.html

*4:湘南藤沢国際学生寮 https://www.n-jisho.co.jp/shonanfujisawa/

近くにいる家族。

2022年5月19日(木)

いうまでもないことだが、学生寮には、進学をきっかけに国内外のいろいろな場所から学生たちが集まってくる。余裕があれば事前に内覧もできるが、遠方にいるのだから、それもなかなか大変だ。だから、地図や写真、間取り図など、いろいろな情報を手がかりにしながら住まいを決めることになる。SIDにかんしては、つい昨年の春に入居がはじまったのだから、体験談も口コミもない。「完成予想図」を眺めながら、考えることが多かったはずだ。

今回話を聞いたのは、湘南藤沢国際学生寮(SID)に暮らす川野涼花さん総合政策学部2年)*1。昨年の春、宮崎市から藤沢市へ。完成したばかりのSIDで暮らしはじめた。入学を決めてから物件探しが本格的になって、すでにそれほど選択肢は残されていなかったという。たしかに、ピーク時には次々と契約がおこなわれているはずだ。そんななか、「国際」と「新築」がとくに魅力的なキーワードになった。もちろん、はじめての一人暮らしだから、大学のそばだと安心だし、友だちだってつくりやすい。

川野さんにかぎらず、2021年度の入学生は、前年度と同じようにCOVID-19の影響を強く受けた。春学期の最初の数週間はオンキャンパスの授業があったので、まずは「徒歩1分」という好立地を満喫できたはずだ。図書館(メディアセンター)や体育館(ジム)も、すぐ近くにあるわけで、便利なことは間違いない。だが、昨年はゴールデンウィークの直前に3回目となる「緊急事態宣言」が発出され、6月には一度解除されたものの、また数週間後に4回目が発出されて、授業はふたたびオンラインに戻ってしまった。

「ステイホーム」は、つまり寮で過ごすということだ。歩いてわずかのところにいながら(部屋によっては窓からキャンパスが見えるはず)、寮の「外」に出ることができずにいるというのは、歯がゆいような悔しいような、そんな想いだったのかもしれない。授業も食事も勉強も自由な時間も、概ねのことが寮のなかで完結するわけだが、一人ではなかった。誰かと一緒の「ステイホーム」に、ずいぶん救われたのではないだろうか。食堂や中庭を望むラウンジ(共用スペース)に行けば、誰かに会える。とくに最初に入寮したどうしで、すぐに打ち解けていたという。別々の授業を視聴していても、すぐそばに誰かの気配を感じることができる。その温もりの大切さは、いまぼくたちがあらためて実感していることだ。

秋になると、留学生たちの入居がはじまった。そのころ、川野さんは帰省中だった。つまり、自分が寮を離れているあいだに引っ越しがあり、秋学期の前に寮に戻ったら、知らない学生たちが増えていたというわけだ。いきなり「国際」の雰囲気になって驚いたようだが、最初の数か月で培われたつながりのおかげで、留守中でもみんなの話題になっていたらしい。離れていてもウワサになるというのは(悪いウワサでないかぎり)、愛されている証拠だ。あたらしく入居した学生たちは、すでに川野さんの名前だけは知っているという感じで、話しかけてきたという。

今年の春には、あたらしい入居者を迎える立場になった。「先輩」として、SIDでの暮らしにかぎらず、大学生活について、自分の体験を語ることができる。川野さんは、ガイダンスの時期に、友だちと一緒に「履修相談会」のような集まりを企画したそうだ。どの科目をえらぶのか、煩雑な手続きはどうするのか。すぐそばにいろいろと教えてくれる「先輩」がいるのは、考えただけでも心強い。もちろん、大学も寮を運営する事業者も、寮生たちのことを想っていろいろな面からサポートを試みているはずだ。だが、寮生たちが自発的にお互いを見まもり、助け合う。まだはじまったばかりだが、少しずつSIDの「寮風」(りょうふう)ともいうべきものが育ちつつあるのだろう。

【写真提供】川野さん

SIDでの暮らしをふり返って、よかったこと。やはり友だちができたことの価値が大きいという。COVID-19の影響は、さまざまなところに及んだ。授業の開講形態のことだけではない。たびたび指摘されているように、そもそも「ステイホーム」が続き、画面越しのやりとりばかりでは、誰かと知り合う機会はほとんどない。川野さんは寮での暮らしをえらんだことで、ごく自然な成り行きで、たくさんの友だちができた。その意味では、学生寮は、COVID-19による窮屈さを乗り越える逞しさを持ち合わせていたということになる。

川野さんは、SIDで学生生活をスタートさせたことで、サークルや授業など、他のつながりへの欲求がむしろ弱くなったのかもしれないとさえ思っている。それほど強くて大切な紐帯はどういうものなのだろう。川野さんは、ためらいなく「家族みたい」ということばを口にした。たしかに、宮崎に暮らす家族よりも、はるかに頻繁に顔を合わせている友だちだ。なにしろ、一つ屋根の下で、この大変な時期を一緒に「生き延びた」仲なのだ。

このあいだ話を聞いた山下くんは、寮生活が楽しくて、すでに4年契約に変更したと教えてくれた。その話が印象に残っていたので、似たような質問をしてみた。「どうなんだろう」と、考え中のようすだった。だが、すでに2年目の生活がはじまっていて、「国際」に惹かれて入居したことを考えると、まだまだ留学生とのかかわりが足りないと感じているようだ。寮のなかで、もっといろいろな交流の機会をつくりたい。そう語ってくれた。ぼくの勝手な想像だが、川野さんにとってSIDはかなり大切な場所になっている。引っ越すことを考えはじめたら、すぐに寂しさや名残惜しさに包まれて、結局のところは、この先もSIDの「先輩」として、新入生たちを迎えながら過ごしているように思う。

*1:今回は、「研究会」の学生経由で紹介してもらうことができました。2022年5月14日、川野さんと1時間ほど話をして、この文章をまとめました。🙇🏻ありがとうございました。あまりがんばりすぎないように、少しずつ「ドミトリー・ライフ」について綴っていくつもりです。