Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

「のびしろ」のある毎日。

2022年11月5日(土)

このシリーズは「ドミトリー・ライフ」というタイトルで続けているが、今回は「ドミトリー・ライフ」をもう少し広い意味でとらえてみたい。字句どおりなら、寮(学生寮)での暮らしが対象ということになる。だが、「ドミトリー」での生活のありようは、立地や建物の設えといった物理的な特性だけで決まるものではないはずだ。毎日の過ごし方や近隣との関係づくりなど、「ドミトリー・ライフ」を考えるためのヒントが見つかるかもしれない。そう思って、今回は「ノビシロハウス亀井野」で暮らす池本次朗くん環境情報学部2年)に話を聞いた。*1

「ノビシロハウス」は、あたらしい物件で、2021年の春から入居がはじまった。ただのアパートではなく、住人どうしの交流や地域とのかかわりを意識した「ソーシャルアパート」と呼ばれて、竣工のころにウェブの記事で存在を知った。そもそも、ぼくたちが暮らすということ自体「ソーシャル」なわけだが、そのことを際立たせるような、いろいろな仕組みがあるらしい。最寄りは六会日大前駅(湘南台駅のとなり)だ。キャンパスとそれほど離れているわけではないので、いずれ見学に行きたいと思っていた。2022年の春に池本くんがぼくの「研究会(ゼミ)」に所属することになり、あとから「ノビシロハウス」の住人であることを知った。
いま述べたとおり、「ノビシロハウス」への入居がはじまったは2021年である。当時、大学のほうは、依然としてCOVID-19の影響下にあった(状況は好転しているものの、いまでも影響は受けている)。2021年の春学期は、ゴールデンウィーク前に3度目の緊急事態宣言が発出されて、授業はすべてオンラインに戻ってしまった。しきりに言われていたのは、学生たち(とりわけ新入生たち)は、友だちをつくる機会がなくて孤立感を味わっているということだ。とくに、進学を機にキャンパスのそばで一人暮らしをはじめた学生たちにとっては、もともと不慣れなことが多いところに、さらなる不便を強いられていた。

そんななか、湘南藤沢国際学生寮(SID)に暮らす学生たちとの話にもあったように、「ドミトリー」は学生たちの孤独感を多少なりとも和らげたのではないかと思う。キャンパスは閑散としていても(一時期は立ち入ることさえできなかった)、学生寮は「家」や「家族」を感じる場所になっている。その点は「ノビシロハウス」も同じで、たんなる一人暮らしではないという。池本くんは、「地域みらい留学」の制度*2で、実家を離れて津和野高校(島根県)に通っていた。そのときは、寮ではなくシェアハウスだったという。だから、共同生活には慣れているのだろう。誰かと一緒に寝食を共にするのは、いろいろと面倒に思えたり気を遣ったりすることもあるが、やはり安心感は生まれるものだ。
興味ぶかいのは、たとえば、月に一度の「お茶会」に参加することが「ノビシロハウス」への入居の条件だということだ。聞けば、条件といっても、それほど堅苦しいものでもない。「お茶会」には住人たちが集まって、他愛のない話を共有する。聞いたかぎりだが、このゆるさがいいのだろう。いわゆる自治会のように、厳格にコミュニティを束ねようという気負いは感じられない。ゆるい意味での「ソーシャルワーカー」になることが求められているという。実際には、このゆるい条件は家賃補助というかたちになって、住人たちに還元される仕組みだ。
歩いて数分のところには、介護事業所がある。「ノビシロハウス」もふくめ、界隈にあるいくつかの施設とともに地域を包み込む、そんなケアのありようを実践している現場なのだ。「ノビシロハウス」は、全体の仕組みのなかで、いくつかの機能を担う場所だということになる。

「ノビシロハウス」の1Fには、コインランドリーとカフェが併設されている。これは、住人たちと地元の人びとをつなぐコミュニティスペースとして理解することができるだろう。コインランドリーは、住人だけでなく近所の人も利用できる。だから、「外」の人も、ごく自然にアパートに出入りすることになる。洗濯をしているあいだは、カフェ「亀井野珈琲」で過ごすこともできる(いまどき「必須」となっているが、Wi-Fiも使える)。そして2Fには在宅介護の事業所が入居している。

【写真】左・中:9月30日に加藤が撮影|右:池本くん提供

あらためて「ドミトリー・ライフ」という観点から「ノビシロハウス」を眺めてみると、この場所が「まちの目」としての役目を果たしていることに気づく。住人もまちゆく人も、カフェからの視線に見守られている。もちろん、視線は一方的ではなく、お互いを見合っているのだ。ここ数年、学生寮(Hヴィレッジ)の計画にかかわっているが、どうしても学生たちのセキュリティーに目が向きがちになる。もちろん、安全への配慮は欠かせないので、外からのアクセスや寮内での学生の行き来について検討がすすむ。そのなかで、カメラの目が「見張る」状況は避けられない。近隣住民に迷惑がかからないような「寮則」も整備される。

「ノビシロハウス」の話を聞きながら、あらためて学生寮と近隣との関係について考えた。寮生たちが界隈に暮らす人びとから〈見られる〉ことは、まちがいない。いち教員としては、いろいろな問題が起きないことを願う。だが同時に、寮生たちは〈見る〉立場でもある。寮生たちも、「まちの目」となって役立つこともあるはずだ。ぼくたちの日常は〈見る=見られる〉という関係によって成り立っている。トラブル防止のために「見張る」のではなく、お互いの暮らしを「見守る」という姿勢こそが大切なのだろう。

話を聞いている最中にも、池本くんは、住人(あるいは近所の人)とおぼしきお年寄りに声をかけられていた。たくさんおしゃべりをするとか、深い話をするとか、人との関係がどのように培われていくかはじつに多様だ。だが、ちょっとした「声かけ」くらいの接点があるだけで、人の心は和らぐ。
池本くんは、最近、2年ごとの契約更新を終えたという。つまり、大学を卒業するまでは、この「ノビシロハウス」で暮らすということだ。COVID-19のせいで動きが制限されていたので、いよいよこれからなのだろう。「ノビシロハウス」の住人たちと地域に暮らす人びとが、いままで以上に顔を合わせ、語らうようになったとき、この界隈に組み込まれた「伸びしろ」の真価を実感できるのだと思う。

参考:ノビシロハウスの伸び代

*1:2022年9月30日、亀井野珈琲に行って1時間ほど話をして、この文章をまとめました。最後に、(後学のために)池本君の部屋も見せてもらいました。ありがとうございました!🙇🏻

*2:池本くんが高校に進学した当時は「しまね留学」という呼称だったとのこと。2019年から「地域みらい留学」に改称した。