Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

穏やかな暮らし 

2023年3月27日(火)

7人目は、吉澤葵さん(環境情報学部2年)に話を聞いた*1。吉澤さんは、大学に進学した年の5月に「湘南藤沢国際学生寮(SID)」に入居したので、すでに1年半ほど寮生活を送っていることになる。実家は宇都宮(栃木県)。キャンパスが都内にあれば通うことができたかもしれないが、さすがに湘南藤沢キャンパスとなると、実家を離れて一人暮らしをはじめるしかない。
どこかに部屋を借りるか、それとも寮にするか。聞けば、すでにひと足先にSIDで暮らしはじめていた友人の紹介で、SIDが候補になったという。事前に内覧することはなく、友だちからの情報を手がかりに入居を考えた。なかでも、Discordのチャンネルが大いに役立ったという話は面白かった。音のこと(隣室の音は気にならないか)やクローゼットの大きさ、施設の使用感など、つまりは「住み心地」ということだと思うが、実際に暮らしている寮生たちの生(ナマ)の〈声〉が、SNSを介して共有されている。ウェブなどに載っている寮の(公式の)案内だけではわからないことが、たくさんあるのだ。まだSIDが完成したばかりのタイミングで、わずか数か月足らずのあいだにもさまざまな〈声〉が蓄積され、役立つ手がかりになったようだ。いうまでもないことだが、いまどきの部屋探しは、ぼくの頃にくらべるとずいぶんやり方がちがう。

一人暮らしは初めてで、いろいろと不安もあった。2021年度は、いまだにCOVID-19の影響下にあって、さまざまな制約のなかで学期がはじまった。実際には、大部分の授業がオンライン開講だったので、キャンパスに通うという感覚は希薄だったようだ。とはいえ、キャンパスのすぐそばで暮らしているので、メディアセンターにはよく足をはこんでいた。くわえて、自然が豊かなキャンパスは、公園のように使っていたという。キャンパスのそばに暮らすことの面白さは、キャンパスそのものをまるで庭のように使えるという点だ。以前のインタビューでも聞いた話だが、週末などはほとんど人影がない。だから、広大なキャンパスを丸ごと独占している気分になれる。

数はかぎられてはいたものの、いくつかの授業は対面で開講されていたので、キャンパスでの授業をとおして友だちができた。入学時に指定されるクラスは、メンバー構成によって温度差はあるが、吉澤さんのクラスではいい出会いがあったようだ。とりわけ1年生の最初の学期は、クラス単位で顔を合わせる機会も多い。キャンパスでの交友関係が充実している分、寮では、むしろ一人で静かに過ごすことが多いそうだ。 

食事は、たいてい注文している(SIDでは、食事は、希望に応じて都度注文する仕組みになっている)。食事のことは、とてもありがたいと思っている。もちろん自炊もできるのだが、共用のキッチンだから、順番を待ったりいろいろと気を遣ったりする。寮の食事は美味しいし、バランスもよくて健康的だ。また、食事が提供される時間帯が指定されているので、結果として毎日のリズムが規則的になって、生活習慣が保たれるのではないかと思っている。

【写真提供:吉澤さん】

実家には、頻繁に帰っている。寮での暮らしには概ね満足しているし、ホームシックだというわけでもない。それは、「初心を忘れないため」だという。キャンパスの近くにいて学業に没頭していると、「世の中」が見えなくなっているような感覚をおぼえる。それが、寮生活をすることの意義なのだが、実家の界隈で過ごすと、キャンパスの「外」にさらに大きな世界が広がっていることを実感できる。この両方の場所を行ったり来たりできるからこそ、全体を俯瞰できるような気がしている。

多くの授業がオンラインで提供されていたので、通信環境などが整っていれば、寮やキャンパス周辺にいなくても問題はない。だから、都内のインターンシップ先から授業に出席することもあった。この例を考えただけでも、COVID-19が、授業やキャンパス、ひいては大学生活のありように変化をもたらしていたことがわかる。誰もが自分にとって心地のいい「居かた」を求めるのだから、実際には、もっと細やかな調整や工夫があったにちがいない。一連の変化やあたらしい試みについては、引き続き「ドミトリー・ライフ」に近づきながら、理解していきたい。
キャンパスに湘南台駅と寮との行き来について、(多くの寮生たちの〈声〉だと想像するが)もっと遅い時刻までバスがあればいいと願っている。たとえば都内に出かけているときなどは、最終バスを気にしながらだと落ち着かない。最終のバスを逃した寮生たちは、駅でやりとりしながら、タクシーに相乗りして帰路につくという。 

すでに1年半ほど暮らしているので、寮では「先輩」になる。いろいろと期待されることはあるかもしれないが、自身の生活スタイルは変えずにいたい。寮に住んでいる友だちは、自分が一人でいることを認めている感じ。これが、ちょうどいい距離感である。寮生どうしのつき合いについて、心理的なプレッシャーを感じることもなく、必要なときには連絡を取ることができる。毎日だと疲れるし、まったく切り離されてしまうような感覚も不安だ。一人で穏やかに過ごすという自らの「居かた」について、あたらしい寮生たちにも伝えることができるとよいと思っている。賑やかな社交を寮に求めるなら、もちろんそれでよいし、自分のように(たぶん少数派だとは思うが)暮らすのもいい。いろいろなスタイルが協調しながら同居しているのが理想だろう。

1時間ほど話をしたが、全体をとおして堅実な暮らしをしているという印象だった。それは、性格によるところも大きいと思うが、いろいろな条件が整って好循環が生まれているように見える。キャンパス、寮、実家、そしてインターン先など、それぞれの場所がほどよい案配で配置され、リズムよく行き来をしながら自分の「居かた」を調整する。「ドミトリー・ライフ」は、学生寮だけで完結することはなく、他の場所や社会関係のありようとともにかたどられていることを、あらためて確認することができた。

*1:吉澤さんと話をしたのは2022年10月12日だったのですが、その後、ORF(オープンリサーチフォーラム)やフィールドワークの準備などに追われ、さらに年末年始から学期末へと慌ただしくなってしまい、記事にするのに半年近くかかってしまいました。大幅に遅れてしまったこと、記してお詫びします。この記事の内容は、取材当時のやりとりにもとづくものです。