2024年11月25日(日)
立命館アジア太平洋大学(APU) APハウス
「ドミトリー・スタディーズ プログラム」の2024年度の“山場”は、遠方への視察旅行である。年度内にひと区切りというプログラムだということもあって、三田祭(学園祭)で休講になるタイミングに集中的にいくつかの大学を訪ねることになって、下記のとおりの「弾丸出張」の旅程が組まれた。学生(Ηヴィレッジの寮生)、職員、教員、総勢15名で、「国際学生寮を見に行く」ツアーがはじまった。
- 25日(月)大分県:立命館アジア太平洋大学(APU) *24日(日)に移動
- 26日(火)福岡県:九州大学
- 27日(水)秋田県:国際教養大学(AIU)
このプログラムを提案するさい、視察先の候補として最初に挙がったのが立命館アジア太平洋大学(以下APU)の国際学生寮である。APUは2000年4月に開設、そのタイミングで学生寮・APハウス1がオープンしている。学生数の増加に合わせるように、2001年にAPハウス2が竣工、資料によると、これら2つの寮は2007年に増設されているようだ。APハウス3(入学から約1年以上経過した学生を対象)、APハウス4(おもに国際交換留学生、大学院生が対象)は、キャンパスから離れた所にある。2023年には、あらたにキャンパスのなかにAPハウス5がつくられた。
APUのキャンパスは、別府市郊外の山(標高300メートルくらい)の中腹にある。遠くに、別府湾を臨むことができる広大なキャンパスで(逆に、市街地からは山の上にAPUの建物が見える)、教室などの建物から歩いて5分ほどのところにAPハウス1、2がある。噂には聞いていたが、ウチのキャンパスとおなじくらい(あるいはそれ以上に)、市街地から離れたところにある。キャンパスへと向かう坂道は、自転車では上れない。別府駅からAPUまで、ネットで経路を検索したら「徒歩」だと「3時間」という結果が出た。APUの学生や教職員が、別府の市街地を「下界」と呼んでいるのもわかる。
入学1年目の国際生は、キャンパスに隣接するAPハウス1、2、5(のいずれか)で暮らすことになっているので(合わせると、収容人数は1,200人以上)、最初の1年は「下界」から切断された「天空」で暮らす。学業と生活が密着して「天空」がつくられているのだから、ひとまず最初の1年間は、そのつもりで向き合うしかないのだろう。
APハウス2のエントランス
25日(月)の朝、APハウス2に集合してから、APハウス2、APハウス5、そしてグリーンコモンズを見学した。APハウス2は20年以上の歴史があるので、施設そのものはそれなりの時間の流れを感じさせるものだったが、さまざまなルールについては、試行錯誤を経て時間をかけて整えられてきたことがうかがえた。とくに、それを感じさせるのは、「レジデント・アシスタント(RA)」という学生団体の存在だ。他大学の例にもれず、APUでもRAによって寮生たちの日常生活が支えられている。
APハウス2
細かいことは省くが、RAは寮生活支援の学生スタッフ・学生アルバイトという位置づけで、「国際学生に安心・快適な住環境を提供すること」「 1年後の退寮・別府市内での居住に適応できるルールやマナーを身に付けさせること」「多国籍・多文化環境に適応する能力を身に付けさせることこと」といった(期待される)役割が明示されている。イベント企画やごみの分別など、さまざまな業務はあるが、役割がはっきりしているので、働きやすいのかもしれない。つまるところ、APハウス1、2,5での暮らしは「下界」に向かうためのトレーニングの場所なのであって、(学生たちは)長居はしないという前提のようだ。だからこそ、それに応じた運営や支援の仕組みが培われてきたのだろう。
APハウス5
APハウス5は、2023年に竣工したばかりで(Ηヴィレッジと同時期)、ピカピカだった。20年以上の歴史があるAPハウス1、2とくらべてしまうと、建物や施設そのもののあたらしさに目が行きがちだが、学生どうしがどのように交流するのか、暮らしのありようを反映させたデザインとして眺めてみた。
APハウス5で一番印象的だったのは、長いカウンターのあるシェアキッチンだ。寮へのントランスはひとつだが、男女で別棟に分かれるような造りになっている。そのふたつの棟をつなぐかたちでキッチンがある。
APハウス5の共用キッチン
この長くて大きなカウンターがあることで、カウンターの内と外で語らいながら調理や食事の時間を過ごすことができる。このキッチン以外にも、フロアの端にはちいさなキッチン/ダイニングがあって、ちょっとした休憩のときにも誰かと話ができるようになっていた。おそらく「ちょっとした」というところが大切で、授業と授業のあいだに休み時間があるのとおなじように、日常生活(寮生活)のなかにもいくつもの「余白」がある。部屋(寮)と教室(キャンパス)とを行き来するだけではなく、その中間にコミュニケーションの機会をつくることで、生活の質が変わる。
そのあとは、APハウス 5で、APUのRA、教職員との交流セッションがひらかれた。APUでは、「ハウスマスター」と呼ばれる教員が、学生たちの寮生活を支える役割でかかわっている。ウチでいうと、「学生生活委員会」の教員(委員長?)のような役回りということだろうか。今回の視察にあたってお世話になった田原先生は、「ハウスマスター」になってから、頻繁にAPハウスに泊まっているという。そのせいか、見ていると、出くわす学生たちとことばを交わし、和やかな雰囲気が生まれていた。APハウスには、「寮母さん」のような立場で常駐するスタッフがいないので、「ハウスマスター」の存在が重要なのだろう。
カフェテリアでお昼を食べて、ほどなくAPU視察は終了。その後、一同バスで博多へ移動。明日(26日)は、九州大学伊都キャンパスへ。
おまけ:2024年11月24日(日)
(前のりで寮に泊まってみた)25日から視察がはじまるので、このプログラムに参加しているメンバーの多くは、前日(24日)に大分入りした。APハウスは、教員やビジターが泊まれる部屋があるとのことで、Ηヴィレッジの学生も、何人かは24日の晩にAPハウスに泊まることになっていた。
せっかくなので(何ごとも、体験が大事だという想いで)、ぼくも前日はAPハウスに泊めてもらうことにした。25日の朝の集合場所がAPハウスだったので、ここに泊まれば、のんびりと朝の時間を過ごせそうだ。そう思った。
24日の晩は、別府駅のそばで懇親会があった。田原先生もAPハウスに泊まるというので、一緒にAPハウスに移動した。暗い夜道を通って山の上に向かう。Ηヴィレッジの学生たちも到着していた。部屋はシンプル。APハウス2は、2001年にオープンしたので、すでに20年以上が経つ。その年季は感じるが、清潔に保たれている。極上の眠りというわけにはいかないが、いわゆる「ドミトリー」の寝心地だった。