Ηヴィレッジとのかかわり
ぼくの記憶が正しければ、「ウエスト街区」の計画に直接的にかかわるようになったのは、2019年の2月ごろからである。いまでこそ「Ηヴィレッジ」という呼称があるが、その頃は「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」だった。大きな計画用地の東側(イースト街区)では、すでに「滞在教育研究施設」の整備がすすんでいた。
当時、ぼくは学内の「未来創造塾委員会」の委員長を務めていた。その委員会では、もっぱら「イースト街区」のことを扱っていたのだが、こんどは西側の敷地のほうも動きはじめるということだ。学生寮の構想実現に向けて、「キャンパス側窓口」になるよう「ご指名」をいただいた。もちろん、ゼロから学生寮を構想するわけではない。設計、施工、管理などは、(紆余曲折を経ながらも)すべて大学の事業として調整がはじまっている。「キャンパス側窓口」というぼくの役目は、ひとことでいえば「調整役」である。これは、なかなか面倒だということはわかっていたが、なぜかそういう役目を負うことが多い。たとえば、すでに決まっていることを、同僚たちに伝える。そうすると、「聞いていない」と反応がある。細かなことを決めようと提案すると、「もっと気の利いたやり方がある」と突き上げられる。さまざまな〈声〉を穏やかに吸い込みながら、「上」とやりとりする。
2019年の春ごろから定期的に会議が開かれるようになり、「窓口」としての仕事を続けた。その後の経緯については、ここでは触れないが、いまにいたるまでにはさまざまな議論があり、要所要所の大切な意思決定は、COVID-19の影響下にありながら行われたことも、記憶に留めておきたい。2021年7月の地鎮祭を経て学生寮の建設は順調にすすみ、「ウエスト街区」ではなく、Ηヴィレッジという施設名称で呼ばれるようになった。図面で眺めていたΗヴィレッジが、少しずつ建ち上がっていくようすを眺めながら、寮生活のありようについてあれこれと考えてみようと思った。学生たちの暮らしは、どのようなものになるのだろうか。COVID-19の体験を経て、キャンパスや共同生活は変わってゆくのだろうか。
古くてあたらしい
Ηヴィレッジは「未来創造塾事業」の一環として結実したものであるが、そのはじまりは、2007年まで遡る。もちろん、1990年のキャンパス開設時から「レジデンシャル・キャンパス」を標榜していたのだから、さらに昔から構想があたためられていたといえる。
開寮に先だって、Ηヴィレッジのウェブサイトをつくることになり、コンセプトや説明文をまとめた。業務としての一面もあるが、ぼく自身の興味もあって、いくつかの資料にあたっていたところ、寄宿舎にかんする記事に出会った。慶應義塾の歴史を辿ると、かつてはキャンパスのなかに寄宿舎があったという。たとえば『三田評論』(2017年4月)の論考によると、三田の丘には、400人を収容する寄宿舎があった。学生のみならず教職員も住まい、食卓を囲んだらしい。まさに、暮らしのなかに「塾」があった。それは、「実学」の精神を具現化した姿だったといえるだろう。
やがて、たとえば教室を増やすなど、さまざまな事情で寄宿舎はキャンパスから切り離されていった。毎日の時間の流れが細かく刻まれ、いまでは暮らしと学びを分けることに慣れすぎてしまった。時代は動き、ぼくたちの生活スタイルも大きく変わった。とりわけこの数年は、自由に出かけることも人と会うことも制限され、キャンパスのありようについて問い直す機会が多くなった。まさにそのタイミングで、キャンパスのなかにΗヴィレッジが完成したのである。
『福翁自伝』を読むと、随所から当時の「塾風」が伝わってくる。160年前の書生たちは、とにかくよく勉強したようだ。いつ、どこにいても学ぼうとする。知的な没入は、時間が経つのを忘れさせるものだ。だからこそ、学びと暮らしを切り離すことなく、近づけておきたい。寝食をともにしながら学び、自由闊達に語らう。書を読むこと、学ぶことを日常の中心に据えて暮らす。そんな想いを込めて、Ηヴィレッジを語るための大切なコンセプトとして「暮らしながら学ぶ、学びながら暮らす」を掲げることになった。「塾」の成り立ちを考えるならば、さほどあたらしいものではないかもしれないが、〈いま〉の時代に合わせたかたちで学生寮を考えていくことになる。
森をひらく
2023年3月31日、Ηヴィレッジの開寮式がおこなわれた。キャンパスのなかにある国際学生寮としての、あたらしい歴史がはじまった。当日は、湘南藤沢キャンパス(SFC)開設時の式典を想いながらくす玉が用意され、全員がおそろいのパーカーを着て集まった。いよいよはじまる、という高揚感があった。
すでに述べたとおり、開寮に向けて、暮らしと学びを一体化させることを強調してきた。もう一つ、たびたび口にしていたのは「森をひらく」ということだ。1990年に開設されたキャンパスは、木々で囲まれるように設計されている。年月を経て木々は生長し、ぼくたちの学究活動は、少しずつ森に隠されていったのだろうか。通りをはさんだところにある看護医療学部や健康マネジメント研究科からも、すぐそばでありながら、見えづらくなっているのかもしれない。キャンパス開設から30数年が経って、森の一部がキャンパスの「外」に向けて「ひらかれる」ことは、周辺の地域との関係にも変化をもたらしうる、象徴的な出来事だといえるだろう。Ηヴィレッジは、その直接的なきっかけをつくった。2022年8月、森が「ひらかれた」のを目撃した。木々が伐採され、北側に工事中の建物(共用棟)が姿を現した。さらにその奥には4つの大きな居住棟が連なっている。森に覆われていたキャンパスに、あたらしい風が吹き、ちがう光が差すようになった。

慶應義塾には、いくつもの国際学生寮があり、その運用にかんするノウハウが蓄積されている。たとえば学生がレジデント・アシスタント(RA)となって、留学生をサポートする仕組みも整えられている。だが、Ηヴィレッジは、オンキャンパスの学生寮として唯一のものである。キャンパスを「庭」のように眺めながら暮らすスタイルは、これまでになかった。さらに、森が「ひらかれた」ことで、近隣との関係のありようについても、これまで以上に丁寧に向き合っていかなければならない。
開寮までの道のりにはいろいろなことがあったが、Ηヴィレッジの歴史は、まだはじまったばかりだ。「ドミトリー・スタディーズ」プロジェクトは、学生(寮生)、教職員が集い、運営事業者とも連携しながら、これからの「Ηヴィレッジ」のありようを考える機会として提案したものである。
キャンパスの「外」へ向かう
「ドミトリー・スタディーズ」プログラムの中心的な活動は、他大学の国際学生寮を視察し、学生や教職員と意見交換をおこなうことだった。開寮後は、定期的に「Ηヴィレッジ運営協議会」が開催されているが、「暮らしながら学ぶ、学びながら暮らす」というライフスタイルを考え、実践するための想像力を育む必要がある。もとより、他大学の実情については知らないことのほうが多い。ぼくたちこそが、もっと学ばなければならない。先行的な取り組みに触れることで、Ηヴィレッジの個性について考えることができるはずだ。旅をすることの価値は、さまざまな試みを自らの目で確かめ、身体ごと感じることにある。それぞれの現場で蓄積されたノウハウは、もちろん知識として役立つものであるが、なにより、直接体験こそが学びの源泉だ。いま、ふり返ってみると、発見や気づきがたくさんあった。
たとえば、印象に残っているのは、秋田国際教養大学(AIU)でのやりとりだ。字句どおりに再現はできないが、大学が企画・実施する(キャンパス全体に向けた)イベントと、寮生向けのイベントはどのように調整されているかを訊ねた。ぼくたちにとっては、不自然に感じる質問ではなかったが、なんとなくかみ合わないような雰囲気になった。AIUでは、およそ9割の学生が寮生活を送っている。その状況においては、わざわざ「大学のイベント」と「寮のイベント」を分ける必要はない。というより、分けるという発想自体が生まれないのだろう。つまり、AIUでは大学のイベントは寮のイベントであり、寮のイベントこそが大学のイベントとして理解されている。言われてみればあたりまえのことなのだが、ぼくたちは、Ηヴィレッジの状況を前提に問いかけていたのだ。
些細なエピソードのように聞こえるかもしれないが、キャンパスの「外」に赴き、いくつもの現場を目にすることは、ぼくたちの常識を揺さぶり、「あたりまえ」を疑い続けるのに役立つ。国際学生寮での暮らしが、穏やかなものであることを願うが、いっぽうでぼくたちが、自身の「常識」に埋没してしまうことは避けたいものだ。
この報告書には、視察で訪れた8つの国際学生寮にかんする報告が収録されている。参加したΗヴィレッジの学生メンバーたちが、実際に現場で見たこと・感じたことを綴っている。とくに、ハウスリーダー(HL)やユニットリーダー(UL)、レジデント・アシスタント(RA)といった立場で「Ηヴィレッジ」での暮らしにかかわっていく上で、それぞれ役割や責任の範囲などを調整することは優先的に取り組む必要があるだろう。
ドミトリー・スタディーズから「ドミスタ」へ
本プログラムは、学生(寮生)、教職員、運営事業者が密接にかかわり合いながら、すすめられた。何度かの視察を終えて、ミーティングの席上で、学生たちが「ドミトリー・スタディーズ」のことを「ドミスタ」と呼んでいることを知った。略称が流通しはじめたということは、それなりに「ドミスタ」ということばがつかわれていることの表れだろう。つまり、学生たちの日常生活のなかで、このプログラムのことが多少なりとも話題になっているということだ。若い世代がいろいろなことばを略して呼ぶことには、いつも閉口気味だが、「ドミスタ」については受け容れることにした。
「ドミスタ」は、「未来先導基金」のサポートをえてはじまったもので、国際学生寮での学びと暮らしを考える主役は学生たちである。教職員は、きっかけづくりになりそうなことを考え、基本的には寮生たちの背中を押すのが役目だ。その意味では、「ドミスタ」がことばとして受け容れられ、Ηヴィレッジのみならずキャンパス全体へと広がってゆくことを目指したい。ひとまず、この呼称が飛び交いはじめたことで、その第一歩を踏み出したと考えていいだろう。

「ドミスタ」は、さまざまな役割意識を越境するための仕組みだと考えることもできる。寮に暮らしていれば、学年や所属学部、専門領域などといった属性を比較的容易に飛び越えることができる。なにより、目の前には日々の暮らしがあるからだ。「ドミスタ」は、発展途上ではあるものの、学生、教職員、運営事業者が、ふだんの役割を担いつつも、お互いの境界を少しずつ緩めていく機会をつくる。まさに視察旅行のあいだは、寝食をともにする感覚に近かった。濃密な時間を過ごしたことによって、ある種の一体感が生まれた実感もある。
実際に、視察旅行を経て、ハウスリーダーたちをはじめとする参加メンバーとの距離が近くなったように思える。学生たちからの呼びかけで、視察旅行のあとで、ざっくばらんに話をする集まりが数回あった。教員と学生が語らうだけではない。細かいところは把握していないが、視察をとおして知り合った他大学のRAたちとのやりとりは続けられていて、いずれ交流会などのイベントを開く構想もあるという。参加メンバーたちのふり返りや議論は、その後も続いているのだ。
重要なのは、教室ではなく、キャンパスの「外」で生まれたつながりが起点となって活動が続けられているということだ。「ドミスタ」という公式のプログラムではあるものの、授業や部活などとはちがう、じぶんたちの暮らしに直結した活動が、自立的・自律的に動きはじめている。学生たちは、訪ねた8つの国際学生寮の特質をそれぞれの観点から理解し、Ηヴィレッジに転用・応用できるかどうかを丁寧に考えている。他大学に学べること、見習うべきことは参考にしながらも、「決まり事」を整えすぎて窮屈になったり、惰性や弛みによって寮生活が生気を失ったりすることがないように、自分たちの暮らしを整える。先行的に学生寮の運用を続けてきた大学のなかには、いわば「反面教師」的に位置づけるべき事例もありそうだ。時間を経るごとに細かいルールがつくられ、それによって動きづらくなることは、容易に想像できるからだ。幸いなことに、「ドミスタ」の参加メンバーたちは、すでに遠い未来に目を向けている。
スパイスとハーブ
「ドミスタ」は、まだはじまったばかりである。これからも、つねにΗヴィレッジの「外」を意識しつつ、さらに充実した活動が続いていくことを願っている。ところで、Ηヴィレッジの各棟は、すべてスパイスの名前にしようと考えられていた時期があった。毎日を刺激的に過ごすこと、個性を混ぜ合わせてあたらしい味を生み出すこと。賑やかで活発なイメージを描いていた。だが、「暮らしながら学ぶ、学びながら暮らす」とき、刺激だけではなく癒やしも大切だ。ぼくたちには、静かに流れる時間も必要なはずだ。そうした想いから、ハーブが加わった。それぞれの内面にも気持ちを向けながら、静かに見守り合うことも忘れずにいたい。
Ηヴィレッジは、構想の段階からいまにいたるまで、じつに多くのかたがたに支えられてきた。「ドミスタ」というプログラムも、数多くの出会いがあったからこそ実現した。一人ひとりのお名前を挙げることはできないが、ここに、みなさんへの感謝の意を表したい。ありがとうございました。