Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

ドミトリー・ライフ(ORF2022)

2022年11月20日(日)*1

ぼくの記憶が正しければ、2019年の2月ごろから「ウエスト街区」の話に直接的にかかわるようになった。いまでこそ「Ηヴィレッジ(イータヴィレッジ)」という呼称があるが、その頃は「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」だった。大きな計画用地の東側(イースト街区)では、すでに「滞在教育研究施設」の整備がすすんでいた(いまでは「βヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになっているが、このあたりについてはひとまず省略する)。

当時、ぼくは学内の「未来創造塾委員会」の委員長を務めていた。その委員会では、もっぱら「イースト街区」のことを扱っていたのだが、こんどは西側の敷地のほうも動きはじめたということだ。学生寮の構想実現に向けて、「キャンパス側窓口」になるよう「ご指名」をいただいた。もちろん、ゼロから学生寮を構想するわけではない。設計、施工、管理などは、(紆余曲折を経ながらも)すべて大学の事業として調整がはじまっている。「キャンパス側窓口」というぼくの役目は、ひとことでいえば「調整役」である。これは、なかなか面倒だということはわかっていたが、なぜかそういう役目を負うことが多い。

たとえば、すでに決まっていること(大きな組織だから、当然のことながら「上」が決めることはたくさんある)を、同僚たちに伝える。そうすると、「聞いていない」と反応がある。細かなことを決めようと提案すると、「もっと気の利いたやり方がある」と突き上げられる。さまざまな〈声〉を穏やかに吸い込みながら、「上」とやりとりする。「ザ・中間管理職」の悲哀である。

2019年の春ごろから、定期的に会議が開かれるようになり、「窓口」としての仕事を続けた。その後の経緯については、別途、整理するつもりだ。いまにいたるまでには、さまざまな議論があったし、要所要所の大切な意思決定は、COVID-19の影響を受けながら行われたことも、記録に残しておきたい。2021年7月の地鎮祭を経て、学生寮の建設は順調にすすんでいる。「ウエスト街区」ではなく、「Ηヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになった。

「窓口」の役目は「上」から降ってきたもので、板挟みような仕事は厄介だが、じつは学生寮やキャンパスのことを考えるのは嫌いではない。どちらかというと、好きなのだと思う。とにかく、いろいろな学生がいる。そのバラエティーの豊かさを実感できるのがキャンパスであり、そのなかで学生たちが暮らしはじめるのだ。図面で眺めていた「Ηヴィレッジ」が、少しずつ建ち上がっていくようすを眺めながら、寮生活のありようについて考えてみようと思った。学生たちは、枕のことを忘れるほどに勉強に(あるいは「何か」に)没頭するのだろうか。COVID-19の体験を経て、共同生活はどのように受けとめられてゆくのだろうか。

2022年の4月から、「ドミトリー・ライフ」のインタビューをはじめることにした。他の仕事もそれなりに忙しいので、だいたい月に一回くらいのペースで、寮で暮らす学生たちと話をしている。堅苦しいインタビューというよりは、毎回一時間ほどのカジュアルな「おしゃべり」という感覚だ。その話をまとめて文章化し、このブログに載せている。不定期だが、なんとか続いている。

一人ひとりの生活について話を聞いてみると、いろいろなことがわかってくる。ささやかな事例かもしれないが、この活動をもう少し続けていくと、「ドミトリー・ライフ」がどのようにかたどられているのかが見えてくるはずだ。


ドミトリー・ライフ(エンドー・スタディーズ新書【000】)新書変型サイズ(182*103), 50頁

*1:この文章は、2022年11月20日・21日に開催された「オープンリサーチフォーラム(ORF)」(3年ぶりの対面、20年ぶりのキャンパス開催)の展示の一部として、第1〜6回までのインタビューを束ねた冊子の序文である。(ほぼ、原文のまま)