Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

穏やかな暮らし 

2023年3月27日(火)

7人目は、吉澤葵さん(環境情報学部2年)に話を聞いた*1。吉澤さんは、大学に進学した年の5月に「湘南藤沢国際学生寮(SID)」に入居したので、すでに1年半ほど寮生活を送っていることになる。実家は宇都宮(栃木県)。キャンパスが都内にあれば通うことができたかもしれないが、さすがに湘南藤沢キャンパスとなると、実家を離れて一人暮らしをはじめるしかない。
どこかに部屋を借りるか、それとも寮にするか。聞けば、すでにひと足先にSIDで暮らしはじめていた友人の紹介で、SIDが候補になったという。事前に内覧することはなく、友だちからの情報を手がかりに入居を考えた。なかでも、Discordのチャンネルが大いに役立ったという話は面白かった。音のこと(隣室の音は気にならないか)やクローゼットの大きさ、施設の使用感など、つまりは「住み心地」ということだと思うが、実際に暮らしている寮生たちの生(ナマ)の〈声〉が、SNSを介して共有されている。ウェブなどに載っている寮の(公式の)案内だけではわからないことが、たくさんあるのだ。まだSIDが完成したばかりのタイミングで、わずか数か月足らずのあいだにもさまざまな〈声〉が蓄積され、役立つ手がかりになったようだ。いうまでもないことだが、いまどきの部屋探しは、ぼくの頃にくらべるとずいぶんやり方がちがう。

一人暮らしは初めてで、いろいろと不安もあった。2021年度は、いまだにCOVID-19の影響下にあって、さまざまな制約のなかで学期がはじまった。実際には、大部分の授業がオンライン開講だったので、キャンパスに通うという感覚は希薄だったようだ。とはいえ、キャンパスのすぐそばで暮らしているので、メディアセンターにはよく足をはこんでいた。くわえて、自然が豊かなキャンパスは、公園のように使っていたという。キャンパスのそばに暮らすことの面白さは、キャンパスそのものをまるで庭のように使えるという点だ。以前のインタビューでも聞いた話だが、週末などはほとんど人影がない。だから、広大なキャンパスを丸ごと独占している気分になれる。

数はかぎられてはいたものの、いくつかの授業は対面で開講されていたので、キャンパスでの授業をとおして友だちができた。入学時に指定されるクラスは、メンバー構成によって温度差はあるが、吉澤さんのクラスではいい出会いがあったようだ。とりわけ1年生の最初の学期は、クラス単位で顔を合わせる機会も多い。キャンパスでの交友関係が充実している分、寮では、むしろ一人で静かに過ごすことが多いそうだ。 

食事は、たいてい注文している(SIDでは、食事は、希望に応じて都度注文する仕組みになっている)。食事のことは、とてもありがたいと思っている。もちろん自炊もできるのだが、共用のキッチンだから、順番を待ったりいろいろと気を遣ったりする。寮の食事は美味しいし、バランスもよくて健康的だ。また、食事が提供される時間帯が指定されているので、結果として毎日のリズムが規則的になって、生活習慣が保たれるのではないかと思っている。

【写真提供:吉澤さん】

実家には、頻繁に帰っている。寮での暮らしには概ね満足しているし、ホームシックだというわけでもない。それは、「初心を忘れないため」だという。キャンパスの近くにいて学業に没頭していると、「世の中」が見えなくなっているような感覚をおぼえる。それが、寮生活をすることの意義なのだが、実家の界隈で過ごすと、キャンパスの「外」にさらに大きな世界が広がっていることを実感できる。この両方の場所を行ったり来たりできるからこそ、全体を俯瞰できるような気がしている。

多くの授業がオンラインで提供されていたので、通信環境などが整っていれば、寮やキャンパス周辺にいなくても問題はない。だから、都内のインターンシップ先から授業に出席することもあった。この例を考えただけでも、COVID-19が、授業やキャンパス、ひいては大学生活のありように変化をもたらしていたことがわかる。誰もが自分にとって心地のいい「居かた」を求めるのだから、実際には、もっと細やかな調整や工夫があったにちがいない。一連の変化やあたらしい試みについては、引き続き「ドミトリー・ライフ」に近づきながら、理解していきたい。
キャンパスに湘南台駅と寮との行き来について、(多くの寮生たちの〈声〉だと想像するが)もっと遅い時刻までバスがあればいいと願っている。たとえば都内に出かけているときなどは、最終バスを気にしながらだと落ち着かない。最終のバスを逃した寮生たちは、駅でやりとりしながら、タクシーに相乗りして帰路につくという。 

すでに1年半ほど暮らしているので、寮では「先輩」になる。いろいろと期待されることはあるかもしれないが、自身の生活スタイルは変えずにいたい。寮に住んでいる友だちは、自分が一人でいることを認めている感じ。これが、ちょうどいい距離感である。寮生どうしのつき合いについて、心理的なプレッシャーを感じることもなく、必要なときには連絡を取ることができる。毎日だと疲れるし、まったく切り離されてしまうような感覚も不安だ。一人で穏やかに過ごすという自らの「居かた」について、あたらしい寮生たちにも伝えることができるとよいと思っている。賑やかな社交を寮に求めるなら、もちろんそれでよいし、自分のように(たぶん少数派だとは思うが)暮らすのもいい。いろいろなスタイルが協調しながら同居しているのが理想だろう。

1時間ほど話をしたが、全体をとおして堅実な暮らしをしているという印象だった。それは、性格によるところも大きいと思うが、いろいろな条件が整って好循環が生まれているように見える。キャンパス、寮、実家、そしてインターン先など、それぞれの場所がほどよい案配で配置され、リズムよく行き来をしながら自分の「居かた」を調整する。「ドミトリー・ライフ」は、学生寮だけで完結することはなく、他の場所や社会関係のありようとともにかたどられていることを、あらためて確認することができた。

*1:吉澤さんと話をしたのは2022年10月12日だったのですが、その後、ORF(オープンリサーチフォーラム)やフィールドワークの準備などに追われ、さらに年末年始から学期末へと慌ただしくなってしまい、記事にするのに半年近くかかってしまいました。大幅に遅れてしまったこと、記してお詫びします。この記事の内容は、取材当時のやりとりにもとづくものです。

Hヴィレッジ

2023年3月14日(火)

SOURCE: Hヴィレッジ|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

留学が決まって、どこで暮らすか、あれこれと調べはじめた。といっても、30年以上も前のことだ。ウェブで検索するわけにもいかず、入学が認められたという通知とともに届いた書類だけが手がかりだ。郵送されてきたパッケージには、キャンパス界隈のガイドや学生寮の案内も入っていた。
結局のところ、キャンパスから歩いて数分のところに部屋を借りることにした。大学専用の寮ではなく、近所にあるいくつかの大学の学生や短期で研究者が滞在できる「国際学生寮」のような施設だ。海の向こうだから、事前に内覧などできない。いまなら、動画や口コミの情報とともに物件を検討できるのだが、簡単なしおりと間取り図、料金表だけで賃貸契約をすすめた。

船便で送り出した荷物が届くまでは、スーツケースひとつだ。手続きは思いのほか簡単で、到着してフロントで名前を告げると、すぐに鍵を渡された記憶がある。
ドアを開けると、廊下は薄暗かった。いわゆるユニット式で、10戸の個室が共用の洗面所・バス・シャワーを取り囲むように配置されていた。奥には共用のキッチンとダイニングのスペースがある。さらにドアを開ける。個室は、狭い。シングルベッドと備え付けのデスクで、床がほとんど埋まるくらいだ。北向きの部屋で、大きな窓の外には高い建物もなく、遠くまで見渡すことができた。狭くても、ここが「わが家」だ。ちいさな部屋のベッドに腰を下ろした。アメリカでの生活がはじまる興奮を味わいながらも、心細かった。ずいぶん遠くまで来てしまった。

最初の学期は、とにかくどうしていいのかわからないことばかりだ。おおかたのことは、大学から送られてきた書類の「おすすめ」を参考にしながら決めた。晩ごはんは、ひとまず「ミールプラン」に申し込んだ。あらかじめ定額を支払っておくと、キャンパスにあるいくつかのカフェテリアで食事ができるというものだ。つまりは「食べ放題」なのだが、しばらく利用しているうちに、単純なローテーションでメニューがくり返されることに気づいた。当然、出汁の旨みは期待できず、おおむねケチャップ味のようだ。
なにより、いかにも運動選手というような厳つい学生たちのなかで食事をするのは、なんだか落ち着かない。「食べ放題」はよいのだが、当然のことながら食べる量がちがう。何度もビュッフェとテーブルを行き来して、ものすごいボリュームをたいらげている学生たちの分を肩代わりしているような気分になった。

学期がはじまると、毎日は規則的になった。テキストや論文をたくさん読まなければならず、平日だけではなく土日も机に向かうことが多かった。「わが家」は、狭くてちょっと窮屈だったので図書館で過ごした。キャンパスから数分のところに暮らすのは、勉強するのにちょうどいい。というより、勉強以外にやることがない。図書館は遅くまで開いていたので、晩ごはんを食べてから、もう一度、図書館に足をはこぶこともあった。行けば、たいていクラスメイトの留学生が勉強していた。

留学中の経験は、いまでも身体がおぼえている。それは、数十年経っても、ぼく自身が大学やキャンパスを考えるときの緩やかな指針になっている。日本がバブル景気で盛り上がっていたころ(それは、ちょうどSFCが開設されたころだ)、その興奮とは遠く離れた場所で、いろいろなことを考えていた。思えば、ちょっと窮屈で単調だったかもしれないが、キャンパスの近所で「暮らしながら学ぶ、学びながら暮らす」という日々を送ることができたのは幸運だった。多くのことを知り、たくさんの人と出会った。長きにわたる関係も生まれた。

2019年の春ごろから、「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」にかかわることになった。かかわるといっても、大学が主導のプロジェクトで、すでに方向づけられているものだ。設計や施工、さらに運営については、それぞれの専門や技術をもった部署や組織が分け持つ。ぼく自身は、湘南藤沢キャンパスの教員という立場で、一連の計画が具体的にかたどられてゆくのにつき合った。ずっと、留学していたころの日常を思い出しながら、ウチのキャンパスの学生生活について考えていた。あれから、立場や年格好はずいぶん変わってしまったが、ぼくは、キャンパスという場所が好きなのだとあらためて思った。やがて、「仮称」も消えて「Ηヴィレッジ」(イータヴィレッジ)になった。

2023年2月27日、Ηヴィレッジの竣工式がおこなわれた。春を感じさせる晴天だった。ぼくは、幸いなことに、「おかしら」の一人としてΗヴィレッジの竣工に立ち会うことができたが、ふり返れば、キャンパスの北側の一画が整地されたのはずいぶん前のことだ。さまざまな事情で計画は変わり、おまけにこの数年はCOVID-19に翻弄される日々だった。この日を迎えるまでに、ご尽力いただいたかたがたには、心からお礼を申しあげたい。多くのひとの、キャンパスへの想いが結実した。少し落ち着いたころに、内覧や報告の場を設けたいと計画している。
間際まで、仕上げに向けて現場が慌ただしく動いているのを近くで見ていた。不遜なようだが、間に合うのだろうかと心配な気持ちにもなった。ついに、出来上がった。周回道路を横切って、Hヴィレッジの共用棟に向かう横断歩道は「H VILL」の文字をあしらっている。神事を終えて、ピカピカの寮のなかを見学した。個室や共用スペースには家具が置かれ、学生たちがやって来るのを待っている。いまはがらんとしているが、数週間もすれば、賑やかになるはずだ。

まずは、スーツケースひとつでだいじょうぶだろう。一人ひとりの期待や不安は、この「ヴィレッジ」とともに、キャンパスの歴史をつくってゆく。いよいよ、「あたらしい日常」がはじまる。

ドミトリー・ライフ(ORF2022)

2022年11月20日(日)*1

ぼくの記憶が正しければ、2019年の2月ごろから「ウエスト街区」の話に直接的にかかわるようになった。いまでこそ「Ηヴィレッジ(イータヴィレッジ)」という呼称があるが、その頃は「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」だった。大きな計画用地の東側(イースト街区)では、すでに「滞在教育研究施設」の整備がすすんでいた(いまでは「βヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになっているが、このあたりについてはひとまず省略する)。

当時、ぼくは学内の「未来創造塾委員会」の委員長を務めていた。その委員会では、もっぱら「イースト街区」のことを扱っていたのだが、こんどは西側の敷地のほうも動きはじめたということだ。学生寮の構想実現に向けて、「キャンパス側窓口」になるよう「ご指名」をいただいた。もちろん、ゼロから学生寮を構想するわけではない。設計、施工、管理などは、(紆余曲折を経ながらも)すべて大学の事業として調整がはじまっている。「キャンパス側窓口」というぼくの役目は、ひとことでいえば「調整役」である。これは、なかなか面倒だということはわかっていたが、なぜかそういう役目を負うことが多い。

たとえば、すでに決まっていること(大きな組織だから、当然のことながら「上」が決めることはたくさんある)を、同僚たちに伝える。そうすると、「聞いていない」と反応がある。細かなことを決めようと提案すると、「もっと気の利いたやり方がある」と突き上げられる。さまざまな〈声〉を穏やかに吸い込みながら、「上」とやりとりする。「ザ・中間管理職」の悲哀である。

2019年の春ごろから、定期的に会議が開かれるようになり、「窓口」としての仕事を続けた。その後の経緯については、別途、整理するつもりだ。いまにいたるまでには、さまざまな議論があったし、要所要所の大切な意思決定は、COVID-19の影響を受けながら行われたことも、記録に残しておきたい。2021年7月の地鎮祭を経て、学生寮の建設は順調にすすんでいる。「ウエスト街区」ではなく、「Ηヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになった。

「窓口」の役目は「上」から降ってきたもので、板挟みような仕事は厄介だが、じつは学生寮やキャンパスのことを考えるのは嫌いではない。どちらかというと、好きなのだと思う。とにかく、いろいろな学生がいる。そのバラエティーの豊かさを実感できるのがキャンパスであり、そのなかで学生たちが暮らしはじめるのだ。図面で眺めていた「Ηヴィレッジ」が、少しずつ建ち上がっていくようすを眺めながら、寮生活のありようについて考えてみようと思った。学生たちは、枕のことを忘れるほどに勉強に(あるいは「何か」に)没頭するのだろうか。COVID-19の体験を経て、共同生活はどのように受けとめられてゆくのだろうか。

2022年の4月から、「ドミトリー・ライフ」のインタビューをはじめることにした。他の仕事もそれなりに忙しいので、だいたい月に一回くらいのペースで、寮で暮らす学生たちと話をしている。堅苦しいインタビューというよりは、毎回一時間ほどのカジュアルな「おしゃべり」という感覚だ。その話をまとめて文章化し、このブログに載せている。不定期だが、なんとか続いている。

一人ひとりの生活について話を聞いてみると、いろいろなことがわかってくる。ささやかな事例かもしれないが、この活動をもう少し続けていくと、「ドミトリー・ライフ」がどのようにかたどられているのかが見えてくるはずだ。


ドミトリー・ライフ(エンドー・スタディーズ新書【000】)新書変型サイズ(182*103), 50頁

*1:この文章は、2022年11月20日・21日に開催された「オープンリサーチフォーラム(ORF)」(3年ぶりの対面、20年ぶりのキャンパス開催)の展示の一部として、第1〜6回までのインタビューを束ねた冊子の序文である。(ほぼ、原文のまま)

キャンパスで暮らそう。

2022年11月8日(火)*1

秋学期がはじまって、早くも6週目である。木々が色づき、キャンパスが美しい季節になった。ここにきて、ようやく学生たちが戻って来たという実感がある。教室や研究室で学生と一緒に過ごす時間が増えているのは、うれしいことだ。もちろん、同僚にも出くわす。会議の多くは相変わらずオンラインで開かれているものの、同僚とすれ違うだけでも気分がいい。遠距離通勤はあたりまえのことになっていたはずだが、「ステイホーム」に慣れてしまったせいか、キャンパスへの行き来については、少し身体を整えて臨んだほうがよさそうだ。

夜遅くになって、無理をして遠くまで帰るよりは、キャンパスに「残留」したほうが楽な場合もある。ぼくも、今学期になってから3回「残留」した。キャンパスに泊まれば翌日の通勤の煩わしさはなくなり、朝の時間をゆっくり過ごすことができる。突き詰めると、キャンパスに住めばよいということになる。

いま、キャンパスでは学生寮の建設がすすんでいる。ふだん利用している講義棟や本館の側から、ずっと工事現場は木々に隠されていた。秋学期を迎える少し前にその一部が伐採されて、いきなり建物が姿を現した。図面などではたびたび目にしていたが、やはり現物を見ると存在感がある。やがて周回道路と接続され、学生寮はキャンパスの一部になる。文字どおり、キャンパスに住めるようになるのだ。4つの居住棟に共用棟をくわえた五つの建物によって構成される一帯を、「Η(イータ)ヴィレッジ」と呼ぶことになった。湘南藤沢キャンパスでは建物の名称にギリシャ文字を充てているが、学生たちが住まう「ハウス(House)」の「Η」で、「Η(イータ)」がえらばれた。

順調にいけば「Ηヴィレッジ」は来年の早い段階で竣工し、4月からは学生たちが暮らしはじめることになる。キャンパスに住むのだから、通学に費やす時間は無いにひとしい。朝はのんびり寝坊もできるし、キャンパスに「残留」せずに、すぐに自分のベッドに帰ることができる。

いうまでもなく、ぼくたちの学びは生活とともにある。毎日は、絶え間ない学びの連続なのだ。学ぶことを活動の中心に据えて暮らす。そのスタイルは、とりわけあたらしいものではない。たとえば、明治30年に記された『福翁自伝』につぎのような一節がある。少し長くなるが、引用しておこう。

学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政三年の三月、熱病を煩うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕で、座蒲団か何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時でも構わぬ、殆ど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻りに書を読んでいる。読書に草臥れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥して眠るか、あるいは床の間の床側を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為ようはないというほどに勉強していました。

『新訂 福翁自伝』(「塾生の勉強」岩波新書、1978、80頁)

このような「緒方の塾風」は、ぼくたちが標榜するひとつのスタイルだ。当時はいささか粗暴で不衛生な場面がたくさんあったように思える。でも、好きなだけ本を読んで、気が済むまで語らい、お腹がすいたら食事をして、眠くなったら横になる。起きたらシャワーを浴びて、続きに勤しむ。そんな気風が「Ηヴィレッジ」に漂いはじめるといい。学びと生活が一体化すること。それは、自分たちの時間をいままで以上に自在に使える贅沢を味わうということだ。あらかじめ提供されている「時間割」や学事日程には載ることのない、特別な時間が流れる。


【写真:2022年11月9日|共用棟(Ηヴィレッジ)】

30年前にキャンパスに通っていた卒業生たちは、机の上に突っ臥したり、冷たくて固い床に横になったりしながら、「残留」していたと聞く。時間を忘れるほどに、枕を忘れるほどに勉強に没頭していたのだろう。語らうことに夢中だったのかもしれない。すでに、かつての書生のような過ごし方が、には息づいている。そして、そのなかで培われた関係は逞しい。木立のむこうであたらしい暮らしがはじまれば、このキャンパスは、さらに面白い場所になるはずだ。

*1:この文章は、2022年11月8日(火)に「おかしら日記」として公開されたものである。原文のままだが、書式の一部を変更している。https://www.sfc.keio.ac.jp/deans_diary/016949.html

「のびしろ」のある毎日。

2022年11月5日(土)

このシリーズは「ドミトリー・ライフ」というタイトルで続けているが、今回は「ドミトリー・ライフ」をもう少し広い意味でとらえてみたい。字句どおりなら、寮(学生寮)での暮らしが対象ということになる。だが、「ドミトリー」での生活のありようは、立地や建物の設えといった物理的な特性だけで決まるものではないはずだ。毎日の過ごし方や近隣との関係づくりなど、「ドミトリー・ライフ」を考えるためのヒントが見つかるかもしれない。そう思って、今回は「ノビシロハウス亀井野」で暮らす池本次朗くん環境情報学部2年)に話を聞いた。*1

「ノビシロハウス」は、あたらしい物件で、2021年の春から入居がはじまった。ただのアパートではなく、住人どうしの交流や地域とのかかわりを意識した「ソーシャルアパート」と呼ばれて、竣工のころにウェブの記事で存在を知った。そもそも、ぼくたちが暮らすということ自体「ソーシャル」なわけだが、そのことを際立たせるような、いろいろな仕組みがあるらしい。最寄りは六会日大前駅(湘南台駅のとなり)だ。キャンパスとそれほど離れているわけではないので、いずれ見学に行きたいと思っていた。2022年の春に池本くんがぼくの「研究会(ゼミ)」に所属することになり、あとから「ノビシロハウス」の住人であることを知った。
いま述べたとおり、「ノビシロハウス」への入居がはじまったは2021年である。当時、大学のほうは、依然としてCOVID-19の影響下にあった(状況は好転しているものの、いまでも影響は受けている)。2021年の春学期は、ゴールデンウィーク前に3度目の緊急事態宣言が発出されて、授業はすべてオンラインに戻ってしまった。しきりに言われていたのは、学生たち(とりわけ新入生たち)は、友だちをつくる機会がなくて孤立感を味わっているということだ。とくに、進学を機にキャンパスのそばで一人暮らしをはじめた学生たちにとっては、もともと不慣れなことが多いところに、さらなる不便を強いられていた。

そんななか、湘南藤沢国際学生寮(SID)に暮らす学生たちとの話にもあったように、「ドミトリー」は学生たちの孤独感を多少なりとも和らげたのではないかと思う。キャンパスは閑散としていても(一時期は立ち入ることさえできなかった)、学生寮は「家」や「家族」を感じる場所になっている。その点は「ノビシロハウス」も同じで、たんなる一人暮らしではないという。池本くんは、「地域みらい留学」の制度*2で、実家を離れて津和野高校(島根県)に通っていた。そのときは、寮ではなくシェアハウスだったという。だから、共同生活には慣れているのだろう。誰かと一緒に寝食を共にするのは、いろいろと面倒に思えたり気を遣ったりすることもあるが、やはり安心感は生まれるものだ。
興味ぶかいのは、たとえば、月に一度の「お茶会」に参加することが「ノビシロハウス」への入居の条件だということだ。聞けば、条件といっても、それほど堅苦しいものでもない。「お茶会」には住人たちが集まって、他愛のない話を共有する。聞いたかぎりだが、このゆるさがいいのだろう。いわゆる自治会のように、厳格にコミュニティを束ねようという気負いは感じられない。ゆるい意味での「ソーシャルワーカー」になることが求められているという。実際には、このゆるい条件は家賃補助というかたちになって、住人たちに還元される仕組みだ。
歩いて数分のところには、介護事業所がある。「ノビシロハウス」もふくめ、界隈にあるいくつかの施設とともに地域を包み込む、そんなケアのありようを実践している現場なのだ。「ノビシロハウス」は、全体の仕組みのなかで、いくつかの機能を担う場所だということになる。

「ノビシロハウス」の1Fには、コインランドリーとカフェが併設されている。これは、住人たちと地元の人びとをつなぐコミュニティスペースとして理解することができるだろう。コインランドリーは、住人だけでなく近所の人も利用できる。だから、「外」の人も、ごく自然にアパートに出入りすることになる。洗濯をしているあいだは、カフェ「亀井野珈琲」で過ごすこともできる(いまどき「必須」となっているが、Wi-Fiも使える)。そして2Fには在宅介護の事業所が入居している。

【写真】左・中:9月30日に加藤が撮影|右:池本くん提供

あらためて「ドミトリー・ライフ」という観点から「ノビシロハウス」を眺めてみると、この場所が「まちの目」としての役目を果たしていることに気づく。住人もまちゆく人も、カフェからの視線に見守られている。もちろん、視線は一方的ではなく、お互いを見合っているのだ。ここ数年、学生寮(Hヴィレッジ)の計画にかかわっているが、どうしても学生たちのセキュリティーに目が向きがちになる。もちろん、安全への配慮は欠かせないので、外からのアクセスや寮内での学生の行き来について検討がすすむ。そのなかで、カメラの目が「見張る」状況は避けられない。近隣住民に迷惑がかからないような「寮則」も整備される。

「ノビシロハウス」の話を聞きながら、あらためて学生寮と近隣との関係について考えた。寮生たちが界隈に暮らす人びとから〈見られる〉ことは、まちがいない。いち教員としては、いろいろな問題が起きないことを願う。だが同時に、寮生たちは〈見る〉立場でもある。寮生たちも、「まちの目」となって役立つこともあるはずだ。ぼくたちの日常は〈見る=見られる〉という関係によって成り立っている。トラブル防止のために「見張る」のではなく、お互いの暮らしを「見守る」という姿勢こそが大切なのだろう。

話を聞いている最中にも、池本くんは、住人(あるいは近所の人)とおぼしきお年寄りに声をかけられていた。たくさんおしゃべりをするとか、深い話をするとか、人との関係がどのように培われていくかはじつに多様だ。だが、ちょっとした「声かけ」くらいの接点があるだけで、人の心は和らぐ。
池本くんは、最近、2年ごとの契約更新を終えたという。つまり、大学を卒業するまでは、この「ノビシロハウス」で暮らすということだ。COVID-19のせいで動きが制限されていたので、いよいよこれからなのだろう。「ノビシロハウス」の住人たちと地域に暮らす人びとが、いままで以上に顔を合わせ、語らうようになったとき、この界隈に組み込まれた「伸びしろ」の真価を実感できるのだと思う。

参考:ノビシロハウスの伸び代

*1:2022年9月30日、亀井野珈琲に行って1時間ほど話をして、この文章をまとめました。最後に、(後学のために)池本君の部屋も見せてもらいました。ありがとうございました!🙇🏻

*2:池本くんが高校に進学した当時は「しまね留学」という呼称だったとのこと。2019年から「地域みらい留学」に改称した。

Life as usual, wherever I am

(スクロールすると日本語版があります。)

Thursday, August 4, 2022

While I have introduced the "International Student Dormitory" in this series, I have not yet had a chance to talk with international students. Therefore, this time, I spoke with Ms. Hillary Hardy (freshman, Faculty of Policy Management, hereafter referred to as "Hilly"), who lives in the Shonan Fujisawa International Student Dormitory (SID), through Nonaka-san's introduction *1.

Hilly came to Fujisawa City in Kanagawa Prefecture from Bali, Indonesia. She became interested in Japanese culture and began to think realistically about pursuing an education in Japan, partly because it is closer than the U.S. or Europe. Last fall, she started living at SID, and now she is busy with various things as she enters the last half of her second semester. She learned about the dormitories from the information package she received after her acceptance, and although she knew very little about life at SFC, the information was beneficial. Among the several dormitories in the vicinity of the campus, she noticed that SID is a newly built dormitory right near the campus, and the convenience of having utilities and other expenses included in the monthly rent made it an attractive choice for her.

While in Indonesia, she searched the web and decided on both admission and housing. When she first stepped foot in the campus area, she was surprised to see it. Perhaps she had a strong image of the urban regions such as Shinjuku and Tokyo when she thought of living in Japan (in the suburbs of Tokyo). Of course, she did not expect to live in such an urban center, but the tranquility of the campus neighborhood was quite different from what she had imagined. The only things near the SID are a convenience store and a hospital. For Hilly, who likes to cook for herself, shopping is inconvenient, and the buses run out early on weekends. Although she seemed slightly disappointed, she is generally comfortable in the campus area.

The Internet is now an indispensable part of our daily life. As mentioned above, selecting a university and deciding on a place to live were made possible by the network. In addition, especially in the past few years, there have been more and more opportunities to take classes online, so she has to attend classes by connecting from her dorm room. It is essential for a living environment along with electricity and water. Even on the same floor, the connection varies from room to room (I heard this story from another student). Fortunately, Hilly's room is relatively good, but her friends seem to feel a little stressed.
Incidentally, when I studied abroad, the primary means of connecting with Japan were letters and postcards (this may sound like a long time ago). Of course, there were also international phone calls, but they were not that easy to use considering the cost and ease of use. Nowadays, we can talk while seeing the other person's face through a smartphone. Even if you are far from home, you can still feel connected with your family and friends. I realized how much things have changed in how we study abroad.

Dormitory security is essential. The fact that other students, as well as the dorm head and matron, live in one building is reassuring. A card key and facial recognition system control and maintain residents' access. Families living far away can feel secure with the neighborhood safe and the dormitory secure.

【Photo courtesy】Hilly

The first weekend in July was the "Tanabata Festival" at SFC. This year, it was held in person for the first time in three years, making the campus lively. Hilly's parents/family were visiting Japan, and she was able to give them a tour of the campus. However, it is unavoidable because of the rules set by the dormitory, inviting someone from the outside to one's room at SID. Her parents and family were no exception. Her family, who had traveled more than 5,000 kilometers to visit her, ended up spending most of their time walking around campus after admiring the exterior of the dormitory.

This semester, she has had more opportunities to meet people in person. I was happy that the students seemed to enjoy their classes and other activities on campus. In contrast, she likes to peacefully spend her time alone in the dormitory. When she first came to Japan and started living in the dorm, she had time to talk with friends and watch movies together in the common areas, but now that she is gradually getting used to it, Hilly would rather spend her time alone at SID. However, the socializing part is probably sufficient since the campus is nearby.

I had already heard from students living in the SID that they communicate on LINE and other means for small day-to-day matters. So SNS should be convenient for urgent contact and small things. Then, of course, there are RAs (Residence Assistants), dorm heads, and matrons if there are any problems. She said that she is generally satisfied with the dormitory so far. Still, she would like a way to communicate anonymously about things she notices or worries about in her daily life (a kind of "suggestion box"). Because with SNS, individuals can be identified and, depending on the content, it may be better to remain anonymous.

After talking with Hilly for about an hour, I felt strangely free from unique feelings as an "international student." She was just an ordinary university student with whom I usually interacted. Of course, I am sure there are some inconveniences and stresses in living in an unfamiliar environment, such as language, culture, etc. She was concerned about the speed of the network connection; she thought it was inconvenient for shopping; she enjoyed the comfort of having her friends nearby but valued her alone time. It sounds natural, and I think it is a sign of her "normal" daily life on campus. Soon it will be one year since she started living at SID. Hilly will return to Indonesia for the summer, but she has already decided to stay at SID for the second year.


via Keio SFC: https://www.youtube.com/watch?v=uE-cmhrQnME

2022年8月4日(木):どこにいても、いつもの暮らし

これまで「国際学生寮」のようすを紹介しながらも、じつは、まだ留学生と話をする機会がなかった。今回は、ふたたび野中さんの紹介で、「湘南藤沢国際学生寮(SID)」に暮らすHillary Hardyさん(総合政策学部1年, 以下Hilly)に話を聞いた*2
Hillyは、インドネシアのバリから神奈川県藤沢市へ。日本の文化に関心を持つようになり、アメリカやヨーロッパよりも近いこともあって、日本で教育を受けることを現実的に考えるようになった。昨年の秋に、SIDでの暮らしをスタートさせ、いまは2学期目の終盤をむかえていろいろと忙しい時期だ。寮のことは、合格が決まった後で手にした情報パッケージに入っていた案内で知ったようだ。SFCでの生活についてはほとんどわからない状態だったが、その案内が手厚かったのだろう。キャンパス界隈の寮がいくつか紹介されていたなかで、SIDはあたらしくできたばかりということ、もちろん、キャンパスに近いという立地条件も、光熱費など諸々の費用が月々の家賃にふくまれていて便利なことも魅力となって、SIDへの入居を決めた。
インドネシアにいながら、ウェブを介していろいろと調べて入学のことも住まいのことも決めた。初めてキャンパスの界隈に足をはこんだときには、素朴に驚きがあったようだ。やはり日本(東京近郊)での暮らしというと、新宿や東京といった都会のイメージが強かったのだろうか。もちろん、そのような都心部に住むとは思っていなかったものの、キャンパスの近所ののどかなようすは想像とはだいぶちがっていたようだ。SIDのそばには、コンビニと病院。とくに自炊が好きだというHillyにとって、買い物は不便だし、週末ともなると早い時間にバスがなくなってしまう。ちょっと、残念そうな素振りではあったが、全般的にはキャンパス界隈で心地よく過ごしているという。

いまや日常生活にインターネットは欠かすことができない。いま述べたとおり、大学えらびも住まいを決めるのも、ネットワークがあればこそ実現できた。また、とくにこの数年はオンラインで授業を受ける機会が多くなっているので、寮の部屋からつないで授業に出席することになる。電気や水道と同じように、必須の環境だ。どうやら同じフロアでも、部屋によって回線の状態がちがうらしい(この話は、別の学生からも聞いた)。幸いHillyの部屋は、比較的よい環境だとのことだが、友だちは少しばかりストレスを感じているようだ。ちなみに、ぼくが留学を経験したころは、日本とつながるための手段は、おもに手紙やハガキだった(なんだか、恐ろしく昔の話に聞こえるかもしれない)。もちろん国際電話もあったが、コストや使い勝手を考えるとそれほど気軽に使えるものではなかった。いまや、スマホ越しに相手の顔を見ながらしゃべることができる。物理的には離れていても、故郷に暮らす家族や友だちとのつながりを実感しながら暮らす。留学事情もずいぶん変わったものだと、あらためて思った。

寮のセキュリティは、とても大事だ。そもそも、他の学生たち、そして寮長・寮母さんも一つの建物に暮らしていること自体が心強い。さらに、カードキーや顔認証のシステムによって、アクセスが制御されている。界隈が安全で、寮のセキュリティが整っていればこそ、遠く離れて暮らす家族も安心だ。
7月最初の週末は、SFCの「七夕祭」だった。今年は3年ぶりに対面での実施になって、キャンパスは賑やかになった。ちょうど、Hillyのご両親・家族が日本に訪ねてきていたので、キャンパスの案内をすることができたという。寮のルールによって決められているのでしかたないことではあるが、SIDでは外から誰かを部屋に招くことは禁じられている。自分の両親や家族も例外ではない。はるばる5000キロ以上も旅してやって来た家族も、けっきょくのところは寮の外観を眺めたあとは、キャンパスを歩くという過ごしかたになった。

今学期になって、対面で人と会う機会が増えた。授業をはじめ、キャンパスでの活動が充実しているようすで、それはとても喜ばしいことだと思った。どうやら、その分、寮では穏やかに一人の時間を過ごしているようだ。日本に来て、寮での生活をはじめたばかりのころは、共用スペースで友だちを話したり一緒に映画を観たりという時間があったが、少しずつ慣れてきたこともあって、むしろ、寮では一人でゆっくりと過ごしたい。社交の部分は、キャンパスがあるから、じゅうぶんなのだろう。

すでに、SIDに暮らす学生から聞いていたが、日々の細かな連絡は、LINEなどでやりとりしているという。急な連絡やちょっとしたことだとSNSは便利なはずだ。もちろん、何かあればRA(レジデンス・アシスタント)や寮長・寮母さんがいる。いまのところは、概ね満足しているとのことだが、生活のなかで気づいたこと・気になることなどを匿名でやりとりする方法(いわゆる「目安箱」のようなもの)があればいい。SNSだと個人が特定されてしまうし、内容によっては、やはり匿名のほうがいいこともあるからだ。

Hillyと1時間ほど話をして、「留学生」としての特別な感じは不思議なほどなかったように思う。ふだん接している、ごく「ふつう」の大学生だった。もちろん、ことばも文化も、不慣れな暮らしで不便に感じることもストレスもあるとは思う。だが、ネットワークの回線の速度を気にしつつ、キャンパスには近くて便利だが買い物などには不便だといい、友だちが近くにいる安心感を味わいながらも、一人の時間を大切にする。そのようすがとても自然で、つまりそれは、「ふつう」にキャンパスでの日常が過ぎているということの表れなのだと思う。間もなく、SIDで暮らしはじめて1年になる。夏はインドネシアに帰るとのことだが、Hillyは、2年目もSIDで暮らすことを決めたという。

*1:I spoke with Hilly for about an hour on July 12, 2022, with Nonaka-san. 😊Thank you very much for your time. It was the first time I talked with an international student living in a dormitory. Hereon, I will continue to write about "dormitory life" little by little.

*2:2022年7月12日、野中さんと一緒にHillyと1時間ほど話をしました。🙇🏻ありがとうございました。じつは、寮に暮らす留学生と話すのは初めてでした。今後も、少しずつ「ドミトリー・ライフ」について綴っていくつもりです。

「内」と「外」を行き来する。

2022年7月16日(土)

『ドミトリー・ライフ』は、寮生活のようすを聞くことをとおして、学生たちとキャンパスとのかかわりについて考えてゆく試みだ。これまでに紹介してきた湘南藤沢国際学生寮(SID)は慶應義塾大学学生寮なので、所属学部はちがっていても同じ大学に通う学生たちが一緒に暮らしている。 今回の記事では、NODE GROWTH 湘南台(以下、NGS)という「独立系」の学生寮の暮らしに触れてみようと思う。
NGSは、 2018年2月に竣工した。10階建て、全158室。湘南台駅から徒歩1分という立地だ。「独立系」というのは、特定の大学にかぎることなく、(通学圏にある)複数の大学・専門学校の学生が暮らすという意味だ。ウェブには「通学に便利な学校」として、SFCをふくむ12校が挙げられている。

今回は、NGSに暮らす中島梨乃さん総合政策学部4年)に話を聞くことができた*1。中島さんは、愛知県の出身。寮で暮らすことは、ご両親に勧められたという。COVID-19の影響で半期は実家に戻っていたが、その時期を除けば大学時代はずっと寮で暮らすことになる。聞けば、ご両親が学生時代に寮で暮らしていた経験があり、進学のさいには寮生活を勧められたという。食事の心配がない(NDSでは平日の朝夕の食事がついている)こと、なにより、ずっと一緒にいたい「家族」のようにつき合うことのできる友だちとの紐帯が生まれること。そうした寮生活の魅力が、ご両親の口から語られたのだから、迷うことはなかったはずだ。

NGSは駅に近いので、買い物はもちろん、飲食店もたくさんある。交通手段へのアクセスもいい。中島さんが入学したのは、NGSが2年目を迎え、学生寮として、まだはじまったばかりというタイミングだった。フロアの共有スペースで、ごく自然に友だちができた。
これまで、いくつかの学生寮を見学する機会があったが、多くの場合「レジデンス・アシスタント(RA)」といった名称の制度が整っている。寮生として暮らしながら、他の学生のサポートをする役目を負う。NDSでは「ノードコーディネーター(NC)」と呼ばれていて、中島さんは、入寮のさいにNCになった(1年目をNCとして過ごした)。あたらしく寮での生活をはじめると同時に、自分だけではなく、同居人たちのことも考えることになったのだ。

寮生活のありようについては、一人ひとりがちがう考え方をもっているはずだが、もし一つひとつの寮に、それぞれの「寮風(りょうふう)」ともいうべき個性的な暮らし方があるとすれば、それは運営する事業主(寮長・寮母さんもふくめ)やNCたちによってつくられてゆく性質のものだ。もちろん、NCとしての役目は果たしていた。カギを忘れたとか、ちょっとしたトラブルとか、それなりに仕事は忙しそうだ。人とのつながりをつくるような「マイプロジェクト」も提案する。
そのいっぽうで、中島さんは、少し距離を置きながら一人ひとりの暮らしを見守っているようにも見えた。いうまでもなく、寮には国内外からじつに多様な学生たちが集まっているのだ。NCという立場を経験したこともあって、誰が、何のために、どのように「寮風」をかたどっているのか。その仕組みや過程にも関心がおよんでいるような印象を受けた。

【写真提供】中島さん

学生寮は共同生活の場ではあるものの、「2食付きの単身者用マンション」として理解することもできる。だから、寮のなかでの人間関係に無関心の入居者がいても不思議はない。あるいは、たとえば同じフロアに20人の学生が暮らしていたとしても、その人数でまとまるというよりは、ちいさなグループがいくつかできているのが現状だろう。
フロアをこえた交流の可能性はあるのだろうか(…せっかくなら交流できたほうがいい)。フロア単位でのまとまりを意識するのは、どういうときなのだろう(…何か「問題」が起きると結束するのだろうか)。話しているうちに、NDSで参与観察をしたら面白いだろうなどと考えてしまった。

興味ぶかかったのは、「寮の友だち」と「大学の友だち」が、ちょっとちがうという話だ。とくに意識しているわけではないが、自然に緩やかに区別されているらしい。「大学の友だち」は、同じキャンパスに通うことはもちろんだが、さらに関心領域が近いという理由で知り合い、関係を育む。その意味ではちょっと「よそ行き」の感覚だ。いっぽう「寮の友だち」は、キャンパスから戻って、その日の出来事を話しながら晩ごはんを一緒に食べる。そんな「家族」のような存在だという。
もちろん、友だちを招くことは大好きとのことで、そのなかで、おのずと友だちを紹介し合う場面は生まれる。実際に、入居したころは、大学の友だちを寮に招く機会もあったという(1Fには「外」に開いた食堂がある)。中島さんにとって、「寮の友だち」は、自分の日常生活を気兼ねなくオープンにできる存在のようだ。「普段着」のまま、つき合えるということだろうか。

COVID-19の影響下にあって、中島さんは、いちど寮を出て(賃貸契約を終えて)半期は実家で過ごした。少しずつ状況が好転し、また実家を離れることを決め、ふたたびNGSに戻ってきた。NGSには、家族のような「寮の友だち」がいたからだろうか。いったん解約したが、まったく同じ部屋にもう一度住むことになった。長い旅行を終えて、ひさしぶりに帰ってきたような感覚だったのかもしれない。

話を聞いていて、キャンパスから適度な距離を置きながら住まうのも、なかなか魅力的に思えた。中島さんは、ときどき、週末にもキャンパスに出かける。人影のない、静かなキャンパスも好きだという。近すぎず、遠すぎない。「内」と「外」を行き来するからこそ、見えてくることはたくさんありそうだ。

*1:今回は、「研究会」の学生経由で紹介してもらうことができました。2022年6月2日、中島さんと1時間ほど話をして、この文章をまとめました。🙇🏻ありがとうございました。じつは、2019年の「SFCクリエイティブウィーク」や他のウェブの記事で中島さんのことは(ちょっとだけ)知っていたのですが、会うのは初めてでした。引き続き、少しずつ「ドミトリー・ライフ」について綴っていくつもりです。