Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

国際学生寮を見に行く(2)

2024年11月7日(木)

上智大学 祖師谷国際交流会館

「国際学生寮を見に行く」2か所目は、上智大学の「祖師谷国際交流会館」へ。成城学園前駅からバスで10分弱。静かな住宅地のなかにあった。四谷キャンパスまでは、60分くらいかかるはずだ。この学生寮は2012年4月に運用を開始しているので、10年以上の歴史がある(先日行った早稲田大学のWISHは、2014年3月に開設)。ただ、話を聞くと、施設(建物)自体は1993年に竣工、もともとは独立行政法人 日本学生支援機構(JASSO)が外国人留学生の寄宿舎として設置・運営していた「祖師谷国際交流会館」だった。

2009年秋に行政刷新会議が生まれ、そのなかで、この施設はいわゆる「事業仕分け」の対象となった。当時の資料「事業仕分け結果・国民から寄せられた意見と今後の取組方針について」*1を見てみると、いろいろな意見があったことがわかる。多くは、「仕分け」には反対だった。理由はシンプルで、政府の方針として、将来的に海外からの留学生を増やそうということなら、公共機関でそれを推進するのはごく自然なことだからだ。資料を見ると、同機構が運用していたいくつかの施設が大学等に売却され、それぞれの大学で学生寮として使われているようだ。


上智大学 祖師谷国際交流会館

ともあれ、この「祖師谷国際交流会館」は上智大学に売却され、建物はそのタイミングで改築されたらしい。「上智大学 祖師谷国際交流会館」は、大学の学生寮としての歴史は10数年だが、施設は30年ほど前に創られたものが「居抜き」で転用されているということだ。

上智大学は、当時の「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の拠点大学のひとつであり、学生たちの受け入れ環境の整備をすすめていたという背景もある。ふだんはさほど意識することがないが、「ドミトリー・スタディーズ」は、こうした政府の方針などにも目を向けて考えていくことが重要だ。「国際」の二文字はもちろん大切だが、なにより、学生たちの生活をより豊かにすること、つまり「大学生活」は学業だけで成り立つわけではないという理解こそが求められている。
これは、COVID-19の影響下で暮らした経験からも実感することで、学生たちは、対面で人と接する機会を切望していたのだと思う。これまで、寮で暮らす学生たちと話すなかでも、あの数年間の孤独感・孤立感が話題になることは少なくない。

左:個室(フロアに15〜20室) 右:図書室

開設のタイミングで改築されたとはいえ、やはり30年の歴史を感じさせる施設だった。ウェブには、単身棟の個室が320室と書かれている(Ηヴィレッジと、だいたい同じくらいの規模だ)。現在は、50か国から、280人ほどが暮らしているという。レンガをもちいた外観も全体的にゆったりとした建物の配置も、いずれも落ち着いた雰囲気で、個人的には好きだった。
部屋はユニットではなく、それぞれのフロアに15〜20の個室が並んでいる。個室内は、これまで見てきたものとあまり変わらない感じがした。前身のころに整備された施設は、(多少の改変はありそうだが)ほぼそのまま使われているようで、カフェテリア、ビッグキッチン(カフェテリアキッチン)、ラウンジ、図書室、学習室、会議室、講堂、和室、音楽練習室、体育館、トレーニングルーム、テニスコートなど、充実していた。

1993年、つまり平成5年の竣工だが、ぼくから見るとやはり「昭和」を感じさせる、なんとなく懐かしい雰囲気があった。ラウンジや図書室、講堂などは大きな窓からたくさん日が差し込んで、周辺の穏やかな環境と相まって、暮らしやすそうに見えた(平日のお昼ごろに見学したので、おそらく学生たちはキャンパスに出払っていて、それで、なおさら静かで落ち着いて見えたのかもしれない)。


ラウンジ


カフェテリアキッチン(ビッグキッチン):前身のころの大きなキッチンがカフェテリアに併設されている。充実の設備。居住エリアは男女別になっているので、みんなで一緒に料理をして食べるようなときは、このキッチンが使われるらしい。

ここでは、2014年から「リビンググループ」という仕組みが導入されている。「リビンググループ」は「交流互助システム」で、つまりはフロアごと(15くらいの個室から成る)でひとつのまとまりになって、お互いにサポートし合うということだ。そして、それぞれの「リビンググループ」にはリーダー(リビンググループリーダー, LGL)がいる。大学によって呼称や役割(責任や権限)はことなるが、このLGLは、RA(レジデンス・アシスタント)のように、報酬(家賃補助)を受けながら、学習や交流のイベント企画をすすめるとともに、日常的にはフロア全体に目を配り、グループのことはなるべくグループで対応できるように務めるという。LGLのための研修や交流の機会も充実していて、リーダーとしてのスキルや意識の醸成に役立っているようだ。

今回も、学生どうしで意見交換をする機会を設けることができた。上智大学のLGLと、Ηヴィレッジの学生との話も、どうやら盛り上がったようだ。教職員・管理運営にかかわわるメンバーどうしの意見交換も面白かった。細かいルールというよりも、もう少し大きな生活信条のようなもの(ミッションとビジョン)をきちんと(ある程度厳格に)共有しておくことで、現場はより柔軟に動けるようになるのだと思う。10年以上におよぶ学生寮の運用をとおしてえられた知見・知恵に裏打ちされているからだろうか、マネージャーからも、学生センターのスタッフからも、余裕を感じた。

ぼくは、午後の授業があったため中座したが、今回も興味ぶかい視察になった。

*1:事業仕分け結果・国民から寄せられた意見と今後の取組方針について 文部科学省 https://www.mext.go.jp/a_menu/kouritsu/detail/1297185.htm

国際学生寮を見に行く(1)

2024年10月17日(木)

早稲田大学 国際学生寮(WISH)

さまざなま大学の国際学生寮を見学に行く「ドミトリー・スタディーズ」プログラム。これは、大学の基金(未来先導基金)から補助を受けて、教員、職員、そしてウチの学生寮(Hヴィレッジ)に暮らす学生たちとともにすすめるものだ。7月に採択が決まり、いよいよ動きはじめた。

かつては三田の丘に400人規模の寄宿舎があったが、いま、キャンパスのなかにあるのはΗヴィレッジだけだ。入寮がはじまって2年目、寮での暮らしかた、「寮風」のようなものは、少しずつつくられてゆく性質のものだと思うが、他大学の学生寮を訪ねて話を聞き、寮生たちと出会い、国際学生寮のありようについて学んでいこうというプロジェクトだ。
このプロジェクトの面白いところは、立場のちがう「みんな(学生、職員、教員)」で一緒に、全国の学生寮をめぐるという点だ。「みんな」のなかでも、いまHヴィレッジに暮らす学生たちが主役だといってもいい。もちろん、教職員が運用や管理について他大学の事例を知ることは大事だが、学生たちこそが、いろいろな寮生活の現場を実際に見て、じぶんたちの暮らしのヒントをえること。なにより、大学をこえて「寮生どうし」の交歓・交流のきっかけになればいい。そう思って企画したプロジェクトである。


これがWISH(Waseda International Student House)

そして、最初の視察は2014年3月に開設された、早稲田大学の「国際学生寮(WISH)」へ。中野駅から歩いて10分程度。定員872人という大きな建物だった。WISHは、4人ユニット。個室と共用のリビングルーム。洗面台はユニットのなかにあるが、トイレやシャワー、ランドリー、コミュニティキッチンは共用部(ユニットの外)にある。

左:ユニット内の個室 右:コミュニティキッチンにちいさなアイロンコーナーがあった。

これまでにもいくつかの学生寮を見学する機会があったが、ひと言で、面白い。寮の設えは、寮での生活をどのように理解しているかを表しているからだ。学生たちのふるまい、教育的なねらい、生活のありかた、多文化の共生への配慮など、学業と生活を一体的に考えて、それが寮という「形」になっている。サイネージや配色などに、他者と暮らすときの考えかたが映る。「管理」を考えるとルールが必要になる。「生活」するとルールは窮屈なものに感じられることもある。
実際に暮らす学生たちは、寮としてつくられた「形」と日々接しながら、創意くふうを試みる。より自然に、より快適に暮らすことができるようにさまざまな改変・改善(もちろん、できることとできないことがあるが)をくわえてゆく。その過程は、教室では実現しえない学びの機会になる。それは、コミュニケーションからはじまるのだと思う。


2Fのエレベーターのところにライブラリーがあった。ライブラリーはいいね。


もはや「おなじ釜の飯」ではなくて「私だけの釜の飯」なのか。一人ひとつの炊飯器?が並ぶ。なかには一升炊きのもあった!

多くの寮では、レジデンス・アシスタント(RA)として学生寮に暮らす学生たちがいる。同じ呼称でも、大学によってその役割や責務はちがう。いわゆる「ジョブ・ディスクリプション」(職務記述書)が細やかに記されている場合もあれば、もっとゆるやかなこともある。ウチの寮は、ハウス・リーダー(HL)、ユニット・リーダー(UL)、レジデンス・アシスタント(RA)という3つの役目があって、すでにややこしい。もちろん、そうなっている理由や経緯はあるのだが、そのあたりはわかりやすく整理するのがいいだろう。

見学が終わった頃合いに、WISHのRA数名にもくわわってもらえるよう、事前の調整がおこなわれていた。そこで、ウチの学生たちとともに別室に移動。学生どうしで話す時間をつくった(そのほうが、いろいろ「ぶっちゃけ」でそれぞれのRA事情を話すことができる)。いっぽうで、教員、職員どうしで運用面のこと、トラブル対応のことなどについて意見交換をした。いろいろと似たような課題に向き合っていることはたしかだ。全体の方針は決まっていても、一つひとつの「事件」は個別的に扱わなければならない。ルールを厳格につくりすぎると、じぶんでつくったルールに縛られることもある。だから、ある程度の「ゆるさ」を備えたルールをつくっておくのがいい。そのあんばいが、とても難しい。

ちがう大学のちがう寮でありながら、国際学生寮の現場に接しているどうし、話は尽きない感じだった。これを機に、またこういう機会をつくれればと思う。予定していた(いただいていた)時間を1時間近く過ぎて、ミーティングが終わった。別室で話していた学生たちも、かなり盛り上がったみたいで、もう少し話していたかったようすだった。もちろん、連絡先などは交換しているはずなので、今後はさらに別の大学の寮生たちとも知り合いながら、つながりを広げていければいい。

今回を皮切りに、いくつもの視察が計画されている。別途、経過などは報告書としてまとめていく予定だが、ひとまず無事に最初の視察を終えた記録として、記しておく。

Ηヴィレッジで展示(ORF2023)

2023年11月25日(土)・26日(日)

今年のORFは、4月に入寮のはじまったΗヴィレッジ(国際学生寮)のエントランスで展示をすることになりました。そんなことを提案(希望)する研究室は他にはひとつもなくて、ぼっちな感じで、寒空のなか、研究室の活動内容を紹介します。
◎ORF2023(加藤文俊研究室) https://fklab.net/orf2023/

穏やかな暮らし 

2023年3月27日(火)

7人目は、吉澤葵さん(環境情報学部2年)に話を聞いた*1。吉澤さんは、大学に進学した年の5月に「湘南藤沢国際学生寮(SID)」に入居したので、すでに1年半ほど寮生活を送っていることになる。実家は宇都宮(栃木県)。キャンパスが都内にあれば通うことができたかもしれないが、さすがに湘南藤沢キャンパスとなると、実家を離れて一人暮らしをはじめるしかない。
どこかに部屋を借りるか、それとも寮にするか。聞けば、すでにひと足先にSIDで暮らしはじめていた友人の紹介で、SIDが候補になったという。事前に内覧することはなく、友だちからの情報を手がかりに入居を考えた。なかでも、Discordのチャンネルが大いに役立ったという話は面白かった。音のこと(隣室の音は気にならないか)やクローゼットの大きさ、施設の使用感など、つまりは「住み心地」ということだと思うが、実際に暮らしている寮生たちの生(ナマ)の〈声〉が、SNSを介して共有されている。ウェブなどに載っている寮の(公式の)案内だけではわからないことが、たくさんあるのだ。まだSIDが完成したばかりのタイミングで、わずか数か月足らずのあいだにもさまざまな〈声〉が蓄積され、役立つ手がかりになったようだ。いうまでもないことだが、いまどきの部屋探しは、ぼくの頃にくらべるとずいぶんやり方がちがう。

一人暮らしは初めてで、いろいろと不安もあった。2021年度は、いまだにCOVID-19の影響下にあって、さまざまな制約のなかで学期がはじまった。実際には、大部分の授業がオンライン開講だったので、キャンパスに通うという感覚は希薄だったようだ。とはいえ、キャンパスのすぐそばで暮らしているので、メディアセンターにはよく足をはこんでいた。くわえて、自然が豊かなキャンパスは、公園のように使っていたという。キャンパスのそばに暮らすことの面白さは、キャンパスそのものをまるで庭のように使えるという点だ。以前のインタビューでも聞いた話だが、週末などはほとんど人影がない。だから、広大なキャンパスを丸ごと独占している気分になれる。

数はかぎられてはいたものの、いくつかの授業は対面で開講されていたので、キャンパスでの授業をとおして友だちができた。入学時に指定されるクラスは、メンバー構成によって温度差はあるが、吉澤さんのクラスではいい出会いがあったようだ。とりわけ1年生の最初の学期は、クラス単位で顔を合わせる機会も多い。キャンパスでの交友関係が充実している分、寮では、むしろ一人で静かに過ごすことが多いそうだ。 

食事は、たいてい注文している(SIDでは、食事は、希望に応じて都度注文する仕組みになっている)。食事のことは、とてもありがたいと思っている。もちろん自炊もできるのだが、共用のキッチンだから、順番を待ったりいろいろと気を遣ったりする。寮の食事は美味しいし、バランスもよくて健康的だ。また、食事が提供される時間帯が指定されているので、結果として毎日のリズムが規則的になって、生活習慣が保たれるのではないかと思っている。

【写真提供:吉澤さん】

実家には、頻繁に帰っている。寮での暮らしには概ね満足しているし、ホームシックだというわけでもない。それは、「初心を忘れないため」だという。キャンパスの近くにいて学業に没頭していると、「世の中」が見えなくなっているような感覚をおぼえる。それが、寮生活をすることの意義なのだが、実家の界隈で過ごすと、キャンパスの「外」にさらに大きな世界が広がっていることを実感できる。この両方の場所を行ったり来たりできるからこそ、全体を俯瞰できるような気がしている。

多くの授業がオンラインで提供されていたので、通信環境などが整っていれば、寮やキャンパス周辺にいなくても問題はない。だから、都内のインターンシップ先から授業に出席することもあった。この例を考えただけでも、COVID-19が、授業やキャンパス、ひいては大学生活のありように変化をもたらしていたことがわかる。誰もが自分にとって心地のいい「居かた」を求めるのだから、実際には、もっと細やかな調整や工夫があったにちがいない。一連の変化やあたらしい試みについては、引き続き「ドミトリー・ライフ」に近づきながら、理解していきたい。
キャンパスに湘南台駅と寮との行き来について、(多くの寮生たちの〈声〉だと想像するが)もっと遅い時刻までバスがあればいいと願っている。たとえば都内に出かけているときなどは、最終バスを気にしながらだと落ち着かない。最終のバスを逃した寮生たちは、駅でやりとりしながら、タクシーに相乗りして帰路につくという。 

すでに1年半ほど暮らしているので、寮では「先輩」になる。いろいろと期待されることはあるかもしれないが、自身の生活スタイルは変えずにいたい。寮に住んでいる友だちは、自分が一人でいることを認めている感じ。これが、ちょうどいい距離感である。寮生どうしのつき合いについて、心理的なプレッシャーを感じることもなく、必要なときには連絡を取ることができる。毎日だと疲れるし、まったく切り離されてしまうような感覚も不安だ。一人で穏やかに過ごすという自らの「居かた」について、あたらしい寮生たちにも伝えることができるとよいと思っている。賑やかな社交を寮に求めるなら、もちろんそれでよいし、自分のように(たぶん少数派だとは思うが)暮らすのもいい。いろいろなスタイルが協調しながら同居しているのが理想だろう。

1時間ほど話をしたが、全体をとおして堅実な暮らしをしているという印象だった。それは、性格によるところも大きいと思うが、いろいろな条件が整って好循環が生まれているように見える。キャンパス、寮、実家、そしてインターン先など、それぞれの場所がほどよい案配で配置され、リズムよく行き来をしながら自分の「居かた」を調整する。「ドミトリー・ライフ」は、学生寮だけで完結することはなく、他の場所や社会関係のありようとともにかたどられていることを、あらためて確認することができた。

*1:吉澤さんと話をしたのは2022年10月12日だったのですが、その後、ORF(オープンリサーチフォーラム)やフィールドワークの準備などに追われ、さらに年末年始から学期末へと慌ただしくなってしまい、記事にするのに半年近くかかってしまいました。大幅に遅れてしまったこと、記してお詫びします。この記事の内容は、取材当時のやりとりにもとづくものです。

Hヴィレッジ

2023年3月14日(火)

SOURCE: Hヴィレッジ|政策・メディア研究科委員長 加藤 文俊 | 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)

留学が決まって、どこで暮らすか、あれこれと調べはじめた。といっても、30年以上も前のことだ。ウェブで検索するわけにもいかず、入学が認められたという通知とともに届いた書類だけが手がかりだ。郵送されてきたパッケージには、キャンパス界隈のガイドや学生寮の案内も入っていた。
結局のところ、キャンパスから歩いて数分のところに部屋を借りることにした。大学専用の寮ではなく、近所にあるいくつかの大学の学生や短期で研究者が滞在できる「国際学生寮」のような施設だ。海の向こうだから、事前に内覧などできない。いまなら、動画や口コミの情報とともに物件を検討できるのだが、簡単なしおりと間取り図、料金表だけで賃貸契約をすすめた。

船便で送り出した荷物が届くまでは、スーツケースひとつだ。手続きは思いのほか簡単で、到着してフロントで名前を告げると、すぐに鍵を渡された記憶がある。
ドアを開けると、廊下は薄暗かった。いわゆるユニット式で、10戸の個室が共用の洗面所・バス・シャワーを取り囲むように配置されていた。奥には共用のキッチンとダイニングのスペースがある。さらにドアを開ける。個室は、狭い。シングルベッドと備え付けのデスクで、床がほとんど埋まるくらいだ。北向きの部屋で、大きな窓の外には高い建物もなく、遠くまで見渡すことができた。狭くても、ここが「わが家」だ。ちいさな部屋のベッドに腰を下ろした。アメリカでの生活がはじまる興奮を味わいながらも、心細かった。ずいぶん遠くまで来てしまった。

最初の学期は、とにかくどうしていいのかわからないことばかりだ。おおかたのことは、大学から送られてきた書類の「おすすめ」を参考にしながら決めた。晩ごはんは、ひとまず「ミールプラン」に申し込んだ。あらかじめ定額を支払っておくと、キャンパスにあるいくつかのカフェテリアで食事ができるというものだ。つまりは「食べ放題」なのだが、しばらく利用しているうちに、単純なローテーションでメニューがくり返されることに気づいた。当然、出汁の旨みは期待できず、おおむねケチャップ味のようだ。
なにより、いかにも運動選手というような厳つい学生たちのなかで食事をするのは、なんだか落ち着かない。「食べ放題」はよいのだが、当然のことながら食べる量がちがう。何度もビュッフェとテーブルを行き来して、ものすごいボリュームをたいらげている学生たちの分を肩代わりしているような気分になった。

学期がはじまると、毎日は規則的になった。テキストや論文をたくさん読まなければならず、平日だけではなく土日も机に向かうことが多かった。「わが家」は、狭くてちょっと窮屈だったので図書館で過ごした。キャンパスから数分のところに暮らすのは、勉強するのにちょうどいい。というより、勉強以外にやることがない。図書館は遅くまで開いていたので、晩ごはんを食べてから、もう一度、図書館に足をはこぶこともあった。行けば、たいていクラスメイトの留学生が勉強していた。

留学中の経験は、いまでも身体がおぼえている。それは、数十年経っても、ぼく自身が大学やキャンパスを考えるときの緩やかな指針になっている。日本がバブル景気で盛り上がっていたころ(それは、ちょうどSFCが開設されたころだ)、その興奮とは遠く離れた場所で、いろいろなことを考えていた。思えば、ちょっと窮屈で単調だったかもしれないが、キャンパスの近所で「暮らしながら学ぶ、学びながら暮らす」という日々を送ることができたのは幸運だった。多くのことを知り、たくさんの人と出会った。長きにわたる関係も生まれた。

2019年の春ごろから、「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」にかかわることになった。かかわるといっても、大学が主導のプロジェクトで、すでに方向づけられているものだ。設計や施工、さらに運営については、それぞれの専門や技術をもった部署や組織が分け持つ。ぼく自身は、湘南藤沢キャンパスの教員という立場で、一連の計画が具体的にかたどられてゆくのにつき合った。ずっと、留学していたころの日常を思い出しながら、ウチのキャンパスの学生生活について考えていた。あれから、立場や年格好はずいぶん変わってしまったが、ぼくは、キャンパスという場所が好きなのだとあらためて思った。やがて、「仮称」も消えて「Ηヴィレッジ」(イータヴィレッジ)になった。

2023年2月27日、Ηヴィレッジの竣工式がおこなわれた。春を感じさせる晴天だった。ぼくは、幸いなことに、「おかしら」の一人としてΗヴィレッジの竣工に立ち会うことができたが、ふり返れば、キャンパスの北側の一画が整地されたのはずいぶん前のことだ。さまざまな事情で計画は変わり、おまけにこの数年はCOVID-19に翻弄される日々だった。この日を迎えるまでに、ご尽力いただいたかたがたには、心からお礼を申しあげたい。多くのひとの、キャンパスへの想いが結実した。少し落ち着いたころに、内覧や報告の場を設けたいと計画している。
間際まで、仕上げに向けて現場が慌ただしく動いているのを近くで見ていた。不遜なようだが、間に合うのだろうかと心配な気持ちにもなった。ついに、出来上がった。周回道路を横切って、Hヴィレッジの共用棟に向かう横断歩道は「H VILL」の文字をあしらっている。神事を終えて、ピカピカの寮のなかを見学した。個室や共用スペースには家具が置かれ、学生たちがやって来るのを待っている。いまはがらんとしているが、数週間もすれば、賑やかになるはずだ。

まずは、スーツケースひとつでだいじょうぶだろう。一人ひとりの期待や不安は、この「ヴィレッジ」とともに、キャンパスの歴史をつくってゆく。いよいよ、「あたらしい日常」がはじまる。

ドミトリー・ライフ(ORF2022)

2022年11月20日(日)*1

ぼくの記憶が正しければ、2019年の2月ごろから「ウエスト街区」の話に直接的にかかわるようになった。いまでこそ「Ηヴィレッジ(イータヴィレッジ)」という呼称があるが、その頃は「ウエスト街区学生寮計画(仮称)」だった。大きな計画用地の東側(イースト街区)では、すでに「滞在教育研究施設」の整備がすすんでいた(いまでは「βヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになっているが、このあたりについてはひとまず省略する)。

当時、ぼくは学内の「未来創造塾委員会」の委員長を務めていた。その委員会では、もっぱら「イースト街区」のことを扱っていたのだが、こんどは西側の敷地のほうも動きはじめたということだ。学生寮の構想実現に向けて、「キャンパス側窓口」になるよう「ご指名」をいただいた。もちろん、ゼロから学生寮を構想するわけではない。設計、施工、管理などは、(紆余曲折を経ながらも)すべて大学の事業として調整がはじまっている。「キャンパス側窓口」というぼくの役目は、ひとことでいえば「調整役」である。これは、なかなか面倒だということはわかっていたが、なぜかそういう役目を負うことが多い。

たとえば、すでに決まっていること(大きな組織だから、当然のことながら「上」が決めることはたくさんある)を、同僚たちに伝える。そうすると、「聞いていない」と反応がある。細かなことを決めようと提案すると、「もっと気の利いたやり方がある」と突き上げられる。さまざまな〈声〉を穏やかに吸い込みながら、「上」とやりとりする。「ザ・中間管理職」の悲哀である。

2019年の春ごろから、定期的に会議が開かれるようになり、「窓口」としての仕事を続けた。その後の経緯については、別途、整理するつもりだ。いまにいたるまでには、さまざまな議論があったし、要所要所の大切な意思決定は、COVID-19の影響を受けながら行われたことも、記録に残しておきたい。2021年7月の地鎮祭を経て、学生寮の建設は順調にすすんでいる。「ウエスト街区」ではなく、「Ηヴィレッジ」という施設名称で呼ばれるようになった。

「窓口」の役目は「上」から降ってきたもので、板挟みような仕事は厄介だが、じつは学生寮やキャンパスのことを考えるのは嫌いではない。どちらかというと、好きなのだと思う。とにかく、いろいろな学生がいる。そのバラエティーの豊かさを実感できるのがキャンパスであり、そのなかで学生たちが暮らしはじめるのだ。図面で眺めていた「Ηヴィレッジ」が、少しずつ建ち上がっていくようすを眺めながら、寮生活のありようについて考えてみようと思った。学生たちは、枕のことを忘れるほどに勉強に(あるいは「何か」に)没頭するのだろうか。COVID-19の体験を経て、共同生活はどのように受けとめられてゆくのだろうか。

2022年の4月から、「ドミトリー・ライフ」のインタビューをはじめることにした。他の仕事もそれなりに忙しいので、だいたい月に一回くらいのペースで、寮で暮らす学生たちと話をしている。堅苦しいインタビューというよりは、毎回一時間ほどのカジュアルな「おしゃべり」という感覚だ。その話をまとめて文章化し、このブログに載せている。不定期だが、なんとか続いている。

一人ひとりの生活について話を聞いてみると、いろいろなことがわかってくる。ささやかな事例かもしれないが、この活動をもう少し続けていくと、「ドミトリー・ライフ」がどのようにかたどられているのかが見えてくるはずだ。


ドミトリー・ライフ(エンドー・スタディーズ新書【000】)新書変型サイズ(182*103), 50頁

*1:この文章は、2022年11月20日・21日に開催された「オープンリサーチフォーラム(ORF)」(3年ぶりの対面、20年ぶりのキャンパス開催)の展示の一部として、第1〜6回までのインタビューを束ねた冊子の序文である。(ほぼ、原文のまま)