Ηヴィレッジは、寝食をともにしながら学び、自由闊達に語らう場所だ。書を読むこと、学ぶことを日常の中心に据えて暮らす。じつは、そのスタイルは、とくにあたらしいものではない。『福翁自伝』を読むと、随所から当時の「塾風」が伝わってくる。160年前の書生たちは、とにかくよく勉強したようだ。いつ、どこにいても学ぼうとする。知的な没入は、時間が経つのを忘れさせるものだ。だからこそ、学びと暮らしを切り離すことなく、近づけておきたい。
Ηヴィレッジは、湘南藤沢キャンパスのなかにある。慶應義塾の学生寮はいくつもあるが、キャンパスのなかにあるのはΗヴィレッジだけだ。慶應義塾の歴史を遡ると、かつてはキャンパスのなかに寄宿舎があった。『三田評論』の論考によると、三田の丘には、400人を収容する寄宿舎があったという。学生のみならず教職員も住まい、食卓を囲んだらしい。まさに、暮らしのなかに「塾」があった。それは、「実学」の精神を具現化した姿だったといえるだろう。その大切な伝統は、「慶應義塾の寄宿舎は慶應義塾そのものである」という論考のタイトルにも表れている。*1
やがて、さまざまな事情で寄宿舎はキャンパスから切り離されていった。毎日の時間の流れが細かく刻まれ、いまでは暮らしと学びを分けることに慣れすぎてしまった。時代は動き、わたしたちの生活スタイルも大きく変わった。とりわけこの数年は、自由に出かけることも人と会うことも制限され、キャンパスのありようについて問い直す機会が多くなった。まさにそのタイミングで、寄宿舎がふたたびキャンパスに戻ってきた。変化をしなやかに受けとめながらも伝統を受け継ぎ、ここから、あたらしい「塾風」をおこす。Ηヴィレッジは、あたらしくて古い。*2