Dormitory Life

ドミトリー・ライフ

学生寮を見に行く。(2)

2019年9月11日(水)

台風一過。予想最高気温が36℃のなか、きょうも学生寮の見学に。秋からのあたらしい仕事がはじまりつつあるのに、これはそのまま。まだ、夏は終わっていないのだ。最寄りの駅からバスで20分程度という、うちのキャンパスと立地条件はよく似ている。
数年前に竣工した寮は、とても素敵だった。一か月ほど前にも別の学生寮を見学したが、やはりいまどきの寮は清潔感があって(比較的あたらしいからあたりまえか)、あちこちがとても合理的に設計されているように見える。むしろ、この無駄のなさが、ちょっと寂しくもある。

いろいろと話を聞いているなかで、寮での暮らしについては、多くの部分を学生たちの自発的な運営に任せているという点が印象的だった。のびやかで、とてもよいことだと思う。2人の問題なら2人で、4人の問題は4人で、フロアのことはフロア全員で。基本的なルールだけは決めておいて、あとは事と次第によって柔軟に向き合う。

(2019年9月10日)

「通学生」「寮生」ということばがごく自然に出てきたことからも、キャンパスで暮らすというスタイルが、しっかりと根づいていることがうかがえる。聞けば、この場所に、1950年代半ばに建てられた男子寮があったという。なるほど、創設のころから、それなりの時間をかけて「生活のある大学」がかたどられてきたのだ。その経験と実績が、「寮生」たちの、そして寮から巣立った卒業生たちの誇りになっているのだろう。

海外のキャンパスに通い、その界隈で暮らした経験のある人なら(ぼくもふくめて)、すぐにでも寮生活を応援したくなるはずだ。だが、軽い気持ちで感傷的になったり、過去のじぶんを美化したりしてはいけない。そう思った。寮を建てるなら、大きな時間のなかで、半世紀先の学生たちの生活を見とおす想像力が必要だ。

学生寮を見に行く。(1)

2019年8月5日(月)

いまかかわっている仕事の一環で、国際学生寮の見学に。なかなか楽しかった。ぼくも、留学したとき、最初の1年ほどではあったものの、寮で暮らした。もうずいぶん昔のことだ。狭い個室と、共用の洗面所とキッチン。行ったばかりのころは秋のはじまりで、少しずつ冬へと向かっていた。なんだか寂しくて心細くて、よく窓の外を眺めていた。でも、キャンパスのすぐそばだったのは、とても便利だった。クラスが終わっていちど部屋に戻って、晩ごはんを食べてから、また図書館に行った。禁欲的で、規則正しい毎日。

当然のことながら、いまどきの寮はちがう。そもそも、ぼくが留学したころにはスマホスカイプもなかったが、いまならWiFiが完備しているので、中庭で作業もできる。共用のキッチンには、個人用のちいさなロッカーがあって、どうやら一人ひとりがじぶんの調味料などを保管しているようだ。

(2019年8月5日)
施設は、そして暮らしかたは変わっても、勉強が大切だということは、ずっと変わらないだろう。学生時代は、のびのびと勉強する時間だけは贅沢にある。寮は、その時間を支えているのだ。いまは、学生たちが勉強をする仕組みを考えたり、その進捗を気にしたりすることが圧倒的に多いが、見学をしていたら、あのころの気持ちが少しよみがえってきた。孤独ではあるものの、独りぼっちではない。不思議な緊張と安心。

ラウンジに、スーツケースを携えた留学生がいた。学期が終わって、故郷に帰るのだろうか。ぼくも、無事に採点票を提出して、ひとまず春学期が終了。ここ数年間は、とにかく、たっぷりと大学の仕事をした。広い意味で、すべてが勉強の時間だったと思う。秋のはじまりに向けて、あれこれとやることがある。また、忙しくなりそうだ。

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